インターネットのアルゴリズムは、求める情報にスムーズにアクセスすることを可能にした。アルゴリズムはECマーケティングの領域では、企業とユーザーの双方に新たな利便性を提供している。では、インターネットで政治や文化など多様な情報を収集しようとした場合はどうだろうか。アルゴリズムは情報アクセスの幅を制約することにつながるのではないか。フィルターバブルとエコーチェンバーは、そうした懸念から生まれた言葉だ。

情報の民主化とパーソナライズ化

ECサイトのショッピングには、逃れがたい麻薬のような一面がある。当月の出費を考えて一度は購入を諦めた後に続く、さまざまなチャネルを通したレコメンドの多重攻撃により、ついに物欲に負けた経験を持つ方は少なくないはずだ。

物欲をピンポイントで刺激するためのインターネットのテクノロジーの一つが、アルゴリズムである。“この商品を検索した人であればこうした商品にも興味を持つ”というのが基本的な考え方になる。買い物に限るなら、それは決して目新しい話ではないかもしれない。馴染みのショップ店員であれば、より受け入れられやすいお勧め商品を提案することは当たり前に行っているはずだからだ。

では、インターネットで行う情報収集のすべてにアルゴリズムによるバイアスが掛かっていたとしたらどうだろう。実はこうした状況はすでに現実のものとなっている。

検索サイトの多くが、所在地、過去の検索履歴、クリック情報などのユーザー情報を検索結果に反映させている。Google検索の場合、検索結果の表示に先立ち、ブラウザやOSの種類を含め、約60の項目を検証しているといわれる。誤解のないよう言っておくと、これはSEOに代表される広告配信の最適化とは無関係に、検索サービスを利用するユーザーのサービス向上を目的に行われる。検索結果をパーソナライズし、求める情報をいち早く提供することは、競合他社との差別化において大きなアドバンテージを持つからだ。

同様のパーソナライズを行うのはGoogle検索サイトだけではない。FacebookのニュースフィードやTikTokの動画表示、LINE NEWSのパーソナライズ配信機能など、多くのSNSで、サービス品質向上の観点に基づくパーソナライズ化が行われている。

インターネットはアルゴリズムによるバイアスが前提となる

我々はインターネットへの接続により、誰もが同様の情報にアクセスできるようになると考えがちだ。インターネットによる情報の民主化という言葉は、まさにこうした考え方に基づく。しかしアルゴリズムによる強力なバイアスは、その考え方に大きな疑問符を投げかける。インターネットによって得られる情報は、実は人によってそれぞれ異なるのだ。

検索エンジンが設定する過去の検索履歴やクリック情報などに基づくアルゴリズムが、同じ言葉で行った検索結果の違いを生むことがその理由である。フィルターバブルとは、無意識のうちに、特定の視点や思想、考え方を前提とした情報の泡(バブル)に取り込まれる状況を指す言葉だ。

この言葉は、アメリカの社会活動家、イーライ・パリサーが2011年に発表した、その名も『The Filter Bubble』に由来する。著者は、2010年に発生したメキシコ湾海底油田の原油流出事故の影響が残る時期に、事故に関する同一キーワードの検索結果が二人の友人で大きく異なっていたことからこの問題の重要性に気付いたという。

新聞をはじめとするオールドメディアは各社それぞれの視点でニュース報道を行う。読者はそれがどのような視点で書かれた記事であるかを認識することができるが、アルゴリズムによるバイアスが前提になるインターネットはそうではない。どれほど偏った考え方であれ、インターネットではあたかも多数派であるかのように受け止めてしまう懸念が常にある。フィルターバブルは、誰もが陥りかねないこうした状況への警鐘と言うことができる。

似た言葉にエコーチェンバーがある。SNSは考え方に共感する人をフォローすることや「いいね」ボタンを押すことで、同じ考え方や価値観を持つ人とよりつながりやすくなるアルゴリズムを備える。その結果、同じような内容の投稿が繰り返し表示されるとともに、自分の投稿が多くの人に肯定的に受け止められる状況が生まれる。

エコーチェンバーとは、自分と似た考え方をする人の言葉がこだまのように響き続けるインターネット上の世界を指す言葉だ。ちなみにエコーチェンバーとは、残響が物理的に残るように特別に設計された録音スタジオを指す。残響室ともいわれ、反響の電気的な処理が一般化する20世紀半ばまでは、レコード会社に不可欠な存在だった。

インターネットで収集する情報が、どれも自分の発言の残響に過ぎないという状況はもはや喜劇的と言うほかない。近年のインターネット上で見られる思想や意見の先鋭化を見ると、SNS利用に伴うこうしたリスクを認識する必要があることは間違いなさそうだ。