NPUはディープラーニングに特化したプロセッサー

次にNPU(Neural Processing unit)を見ていきたい。中央演算装置とも呼ばれるCPU(Central Processing Unit)はその名のとおりPCの頭脳だ。その役割を補完する、画像処理に特化したプロセッサーがGPU(Graphics Processing Unit)で、処理の並列化によるスムーズな画像処理が先進のゲームでは不可欠の存在になっているのはご存じのとおりだ。同様にAIによる学習に特化したプロセッサーがNPUである。

その意義を理解するには、AIが自律的に行うディープラーニングの仕組みを理解する必要がある。ニューロンとシナプスに基づく人間の脳の仕組みを模したといわれる、ディープラーニングにおける情報処理のプロセスは驚くほど単純だ。それは一口に言えば、入力量がしきい値を超えると次のノードに情報が伝達されるという処理を同時並行的に大量に行う仕組みである。NPUとは、こうした単純な処理にハードウェアレベルで最適化されたプロセッサーだと言うことができる。

NPUの存在がAI PCのカギを握る

そのメリットとしてまず挙げられるのは、処理が効率的に行える点である。プロセス自体は当然CPUでも対応可能だが、それをNPUに任せることで消費電力を大幅に削減することが可能になる。特にモバイルPCでSLMを稼働する場合、これは大きな強みになる。もちろん処理の高速化も重要なポイントだ。

NPUの性能を示すのがTOPSである。これまでコンピューターの計算能力は浮動小数点演算の実行回数であるFLOPS(FLoating-point Operations Per Second)が用いられるのが一般的だった。しかしディープラーニングでは浮動小数点処理を含む処理は不要で、膨大な整数演算を繰り返し行うことになる。そうしたことからNPUの演算能力を計る指標として整数演算能力が用いられるようになった。

TOPSは、1秒あたりの整数演算能力であるOPS(Operations Per Second)に一兆倍を意味する接頭辞Teraの頭文字を組み合わせた単位で、1秒あたり何兆回の演算が実行できるかを表す。Copilot+ PCの条件である40TOPSは、1秒間に整数演算を40兆回実行する能力を示す。

既に触れたとおり、今年6月時点で40TOPSという条件を満たすNPUは、45TOPSを誇るQualcomm Snapdragon X Elite/Plusしか存在しなかった。その背景には、デバイス側のAI処理ニーズがスマホの画像処理から生じたという事情があり、スマホカメラで撮影した画像が長足の進歩を遂げた背景にAI処理の存在がある。この処理をクラウドで行おうとする場合、通信回線に大きく制約されるため、画像処理をリアルタイムで行うにはデバイス側で処理を担う必要がある。モバイルデバイスのSoCを主戦場に成長を続けたQualcommがNPU開発において一日の長がある理由もそこにある。

ただしNPUの演算能力の技術的ハードルは、ナノレベルの半導体開発と比べればそれほど高いわけではない。Intel、AMD両社も、40TOPSという条件を満たすNPU投入を既に発表している。Intelが2024年第3四半期中の投入を予定するLunar Lakeには、45TOPS以上のNPUが搭載されるとみられる。またAMDが2024年後半に投入を予定するStrix PointことRyzen AI 300には、50TOPSのNPUが組み込まれるとみられている。

AMD Ryzen AI 300 シリーズの搭載NPUは50TOPSを実現

ARMベースのSoCを省電力性能の観点から高く評価する声は多い。Qualcomm製品のPC市場への進出を期待したいところだが、その一方で法人需要の観点では、互換性を懸念する向きも多いとみられる。ITビジネスの観点では、まもなく登場するx86ベースのIntel、AMD製SoCを搭載したAI PCの登場を待つのも一つの選択肢になるだろう。

ホリデーシーズンに合わせて供給されるLunar Lakeには60TOPSを超えるNPU搭載が発表された

SLMが切り開くAIの新たな可能性

ではAI PCは、何を実現するのか。ITビジネスでの最大の関心はその点にあるに違いない。この観点において明らかに言えるのは、AI PCは個人需要よりも法人需要でこそ意義を持つという点である。

企業におけるAI Chatbot普及においてこれまで大きな課題になってきたのが、情報漏えいに対する懸念だ。Copilot for Microsoft 365には商用データ保護機能が備わるが、懸念を完全に払拭するのは難しいのが実情だ。同様に、LLMの学習ソースに対する懸念にも注目する必要がある。AI Chatbotの社内外の問い合わせ対応への活用がトレンドの一つだが、一方でLLMが設定外のソースを参照することで生じるトラブルを懸念する声も少なくない。

SLMを実装したAI PCは、こうした懸念を払拭することが可能だ。クラウドを介さないためAIへの質問内容は確実に守られ、学習ソースのより厳密なコントロールが可能になるからである。

また大手動画サイトの情報漏えい事案を受け、セキュリティへの関心があらためて高まる中、セキュリティの観点でもAI PCへの期待は大きい。ファイアウォールによる内と外の分離に替わり注目されるのが、エンドポイントのセキュリティ対策だ。24時間365日監視まで含めた高度なEDRサービスは大きな効果が期待できる一方、そのコストが導入の大きな障害になっていた。AI PCであれば、ユーザーによる不注意な添付ファイル開封などに伴うアクティビティの変化をいち早く検知することが可能になる。デバイス側AIを利用したセキュリティ対策は今後ホットなテーマになることは間違いない。

さらに言えば、ユーザー一人一人に応じた操作性の最適化にも注目する必要がある。デバイスに実装されたAIは、日々の操作を学習し、ユーザーによる操作を先回りして次の操作を提案することもできるようになるだろう。RPA普及においては、導入(構築)コストとの費用対効果が常に高いハードルとして存在した。やり方次第では、AI PCは毎日繰り返す定型業務の自動化において大きな役割を果たすことも期待される。

国内外の調査機関が、法人向けPC市場においてAI PCの普及が今後5年間で急速に進むと予測する背景にはこうした事情がある。法人向けPC市場ではこれまでOSマイグレーション需要が重要なカギを握ってきたが、今後数年間は、AI活用に積極的なエンタープライズ企業を中心に、OSマイグレーションを伴わないPC入れ替えが進むとみる向きも多い。ITビジネスにおいて、AI PCが注目すべき商材であることは間違いないはずだ。

閲覧サイトへのアクセスをAIが支援

AI PCのポテンシャルを考えるうえでは、Copilot+ PCが実装する新機能にも注目する必要がある。Copilot+ PCには、以下の2つの新機能搭載が既に発表されている。

Recall機能

特にビジネス領域において、Copilot+ PCの機能の目玉と目されるのが、AIによる画像分析・検索機能を活用したRecall機能である。

保存したはずのファイルが見つからないことは、ビジネスでPCを使うユーザーであれば誰もが一度は経験しているはずだ。同様に、以前閲覧したサイトがどうしても見つからないという経験を持つ方も少なくないだろう。

この問題を、定期的に取得した画面スナップショットをAIが分析することで解決するのが、Copilot+ PCのRecall機能である。検索項目は、OCR処理されたテキストデータと画像の二通りで、それにより「猫のキャラクターが解説する胃腸薬の情報サイト」といった検索も可能になる。多くのユーザーが経験するこれらの課題を解決する同機能は、デバイス側がAIを実装することの意義を知ってもらううえで大きな役割を果たすと考えられる。

当初、Recall機能は6月のCopilot+PC投入に合わせた提供開始が予定されていた。だが画面スナップショット取得に伴うプライバシー面の懸念もあり、提供開始が10月以降に先送りされることが発表されている。現在マイクロソフトは同機能の提供対象をWindows Insider Program参加者に絞り込み、実運用を通して問題点を洗い出しているとみられる。

Image Creator/Cocreator機能

Image Creatorはプロンプトを入力することで画像を生成する画像生成AI。Microsoft Paintで利用できることが第一の注目ポイントになることは間違いないが、それと共にクラウド側の処理を待つことなくローカルのNPUで画像を生成するため、画像生成の待ち時間が大幅に短縮化される点も重要なポイントだ。

基本的な考え方は、既存の画像生成AIと同様だが、プロンプト入力ボックスの下に配置された「創造性スライダー」などの各種パラメーターにより、油絵風や水彩画風、アニメ風など多様なタッチが選択できるなど、UI向上が図られている。

一方、Microsoft Paintで描いた具体的イメージとプロンプトの併用で、イメージをダイレクトに生成する機能がCocreatorである。画像のようなデータ量が大きなリクエストを生成AIに投げかけて処理を行うという一連のプロセスをスムーズに行ううえで、オンプレミスAIが大きな意味を持つことは間違いないだろう。

お絵描きアプリ「ペイント」に追加された画像生成機能「Cocreator」
赤枠は、生成結果をカスタマイズする「Creativity(創造性)」スライダー

また外国語翻訳機能も注目したい機能の一つだ。リモート会議などで音声情報をテキスト化し、翻訳するプロセスをクラウドで行う場合、現時点ではリアルタイムの処理は難しいのが実情だ。AI PCであれば一連の処理の大幅な高速化が可能になる。2024年9月時点では、日本語を含む44言語の英語化に対応し、高速かつ高精度な翻訳を端末上で行うことを実現している。

Copilot+ PC普及には、実装するSLM、Phi Silicaの活用が大きな役割を担うことになるはずだ。マイクロソフトと共にAI PCの主導権を争う、グーグルやAppleにとってもそれは同じだ。AI PCの今後を考えるうえでは、どの陣営がいち早く魅力的なエコシステムを構築できるかという点にも注目する必要があるだろう。

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