PROFILE
株式会社寿商店 常務取締役
森 朝奈 氏
1986年、名古屋市出身。金城学院(中高一貫高)卒業後、早稲田大学国際教養学部に進学。2009年に同大学卒業後、楽天に入社。2011年、父・嶢至氏が創業した、鮮魚販売や飲食店を展開する寿商店に加わる。楽天時代の知識を生かし、オンライン受発注システムの導入、通販事業、SNSの活用など、次々と新しい施策を打つ。2017年 常務取締役就任。「魚食文化を全国に広める」ことを目標に、簡単にできる魚のさばき方、調理法、季節の魚の特徴を解説するYouTube「魚屋の森さん」のチャンネルを2020年に開設。また、日本最大の魚系オンラインサロン運営など、精力的に活動している。
前職で培った知識を生かし、家業の魚屋さんにおける業務のデジタル化を実現した森 朝奈氏。電話とファクスしか使ったことのない従業員にデジタルの便利さを根気よく伝え、業務を効率化することで、働き方改革や多店舗化を実現した。より多くの人に魚食の素晴らしさを知ってほしいという森氏は、「魚屋の森さん」というYoutubeチャンネルを開設し、人気を博している。魚屋とデジタル。一見、不釣り合いな2つの融合に挑んだ森氏の取り組みに迫る。
楽天で経営者のあるべき姿を学ぶ
「魚屋の森さん」というYoutubeチャンネルですっかり人気者ですが、本業は鮮魚卸や飲食店を運営する会社の“二代目”だそうですね。
森 朝奈氏(以下、森氏):名古屋市にある寿商店という会社で常務取締役を務めています。父が20歳のときに起した会社で、もともとは地元のスーパーの魚売り場で小売をしていました。
その後、卸に転業し、居酒屋などの飲食店も経営するようになって現在に至っています。
飲食店は、毎朝魚市場から直送した魚を料理する居酒屋「下の一色」(しものいっしき)のほか、魚好きを増やすために多彩なフィッシュバーガーを提供する「サカナノバーガー」など13店舗を展開。名古屋市のほか、中部国際空港や三重県、新潟県などにも出店しています。
家業に携わる前は、楽天でお仕事をされていたとうかがっています。
森氏:物心がついたときから父の仕事を見ていたので、小学生のころから家業を継ぐために準備をしていました。
父が「いつかは海外に店を出したい」と言っていたので、中学時代から英語教室に通い、大学でも1年間交換留学をしています。
楽天に入ったのも、いずれ家業を継ぐために、外でいろいろなことを学んでおきたいと思ったからです。
魚屋になるための修業として、IT企業の楽天を選んだというのが非常にユニークですね。
森氏:実は、大学1、2年生のころ、父が楽天市場に鮮魚販売のEC店舗を出したんです。ちょうどスマートフォンが登場したころで、「これからはスマホによるオンラインショッピングが流行るぞ」と言って(笑)。
ところが全く売れず、「どうすれば良いのかな?」と父に相談されたので、楽天に入って、売れる方法を探ってみようと思いました。
当時は就職氷河期だったので、入社できて本当によかったと思っています。
楽天では、どんなお仕事をされたのですか?
森氏:楽天では、一般営業職で入社したものの、人事で社長室に配属となり、三木谷社長の近くで勤務することで、優秀な経営者の仕事ぶりを目の当たりにしました。
楽天での仕事を通じて、経営スピードの速さの重要性や、固定観念をもたないビジネスなどを学べたと思います。だからチャンスと見ればすぐに動き出しますし、どんなビジネスをやるにしても、いままでのやり方が「当たり前」だとは考えません。
今、魚屋としての商売をいろいろな切り口で展開できているのも、楽天で学んだことが大きかったと思っています。
楽天は2年ほどで退社され、その後、お父様が経営する寿商店に入社されています。家業に戻ったきっかけは何だったのでしょうか。
森氏:父の体調不良を聞き、元々事業承継するつもりで人生の取捨選択をしていたので、家業に入るのであれば今のタイミングではないか、と思ったからです。
当時、寿商店は鮮魚卸のほか、回転ずしのフランチャイズ店を3店舗ほど展開していましたが、競合となるグルメ回転ずし大手の進出により、将来性がなくなり、業態変更を考え閉店させたタイミングでした。
また、自社直営の飲食店「下の一色」を2店舗ほどオープンさせ、軌道にのせたいと奮闘していた時期でもありました。
居酒屋の店名にした「下の一色」は、父が生まれ育った小さな漁師町の名前から取ったものです。根っから魚好きの父は、おいしい魚を一人でも多くの人に食べてもらいたいという思いでビジネスを広げてきました。その思いをしっかり受け継ぎ、夢をかなえてあげたいと思いました。
デジタルの活用によって多店舗化を実現
その後、寿商店は業務のデジタル化を進めることで、大きく生まれ変わるわけですね。森さんが楽天でデジタルに携わったことが大きかったのではないでしょうか。
森氏:戻ってみると、あまりにも業務がアナログであることに驚きました。
卸の現場では、お寿司屋さんや鮮魚店からの注文を電話やファクスで受け付けていました。効率が悪いだけでなく、慣れないと聞き間違えや読み間違えもあるので、経験者でなければ処理できません。近年は外国人労働者も増えているので、なおさら属人化された業務は改善すべきだと思いました。
楽天で学んだ大切なことの一つは、
仕入れや注文の受け付けを担当する人たちにタブレット端末を持ってもらい、画面をタッチするだけで処理できるシステムなどを導入しました。
現場の方々は、ほとんどデジタルに馴染みのない方ばかりだと思います。使いこなしてもらうためには、相当苦労されたのではないでしょうか。
森氏:誰にでも使いこなせるように、なるべくシンプルに扱えるシステムを選定しました。
注文をデジタル化するには、取引先にもシステムを導入してもらわなければならないので、費用負担も少ないシステムを選んでいます。
最初のうちは、直接現場やお客様の所に出向いて、使い方に関するレクチャーを行いました。とにかく
ただし、新しいやり方を無理に押し付けると定着しないと思ったので、電話やファクスによる注文も、引き続きできるようにしました。柔軟に、少しずつやり方を変えていくことが、成功の秘訣だと思います。
飲食店のオペレーションもデジタル化を進めておられるようですね。
森氏:自動券売機を設置し、お客様が食券を購入すると、その情報がオーダーシステムに入力されて厨房にも届く仕組みを導入しています。
オペレーションの効率化はもちろん大切ですが、当社が運営する飲食店はベテラン職人がその日の朝、市場に揚がった新鮮な魚を仕入れて調理します。目利きや職人の技術などデジタル化できないものを守っていくためにデジタルによる効率化を図り、デジタル化を推進することに価値があると思います。
かつては、父が朝2時ごろに起きて仕入れを行っていたのですが、アナログの仕事なのでどうしても長時間労働になりますし、さばける仕事の量にも限度があります。
現在のように目利きや職人の技術を守りながら多店舗展開できるようになったのも、デジタル化のおかげです。
本業もかなりお忙しいと思いますが、その傍ら、Youtubeチャンネルを開設したのは、どのようなきっかけだったのでしょうか。
森氏:きっかけはコロナ禍ですね。緊急事態宣言などによって外食ニーズが落ち込み、当社が運営する居酒屋にもお客さんが来なくなってしまいました。
でも、市場には需要がなくなった魚があふれ返っていて、普通なら一般の人には高くて買えない高級魚が安い値段で売られていたのです。
これを仕入れてオンライン販売すれば売れるのではないかと考え、すぐにSNSやYoutubeで発信したところ、ものすごい反響がありました。
市場環境の変化を感じたら、すぐに動き出すスピード感の大切さも、楽天時代に学んだことです。「飲食店の苦しい経営の補填を、EC事業でカバーできないか」と考えすぐに行動に移しました。
市場で行き場を失った鮮魚などを詰め合わせ、お値打ちな価格で販売する「鮮魚ボックス」という商品を考案しました。通販ページを立ち上げ、2日後にはSNSやYouTubeを使い、市場の現状などの発信を行い商品を訴求をしました。その結果、注文が殺到して、通販部門の売り上げは15倍に伸びました。
魚屋の付加価値をデジタルで発信したい
それがきっかけで、Youtubeチャンネルを情報発信にもっと活用しようということになったわけですね。
森氏:「魚屋の森さん」では、「魚食文化を全国に広める」ことを目標に、簡単にできる魚のさばき方、調理法、季節の魚の特徴などを解説しています。一人でも多くの方に魚が好きになってほしいという思いがあるからです。
若い人の中には、魚を触ったことのない人や、下ごしらえなどが面倒臭いと敬遠される方もいらっしゃいますが、コツさえ覚えれば案外調理しやすく、とてもおいしいものだということを、もっと知ってもらいたいのです。
当社が新しい魚の食べ方を提案するお店として、「サカナノバーガー」を展開しているのも、魚をもっと身近に感じてほしいと考えているからです。
「サカナノバーガー」は店舗だけでなく、キッチンカーを走らせる計画があり、47都道府県の制覇を目指しています。それぞれの地元で獲れた魚を使って、地産地消のバーガーを味わっていただく取り組みです。
自分たちの街でもこんなにおいしい魚が獲れて、調理を工夫すれば、いろいろな料理が作れるのだということを知ってほしいですね。
ほかにも、魚の魅力を知ってもらうために、いろいろな取り組みを行っているようですね。
森氏:最近では、長崎県の五島列島から魚を直接仕入れて、卸や直営の飲食店で積極的に販売するプロジェクトを始めました。
五島列島は、魚がとても豊富な場所なのですが、わざわざ訪れて食べる観光客はそれほど多くありません。
しかも、コロナ禍で観光客が減ったせいで、需要と供給のミスマッチがますます大きくなってしまいました。
そこで、地方創生の一環として五島列島を支援している“ある企業様”からお声掛けをいただき、魚を仕入れることにしました。
五島列島の水産業を応援することによって、毎日新鮮な魚が届けば、都会に住む皆さんも、魚食の素晴らしさを再認識することができます。生産者と消費者のお互いにとって、メリットのある取り組みだと思っています。
今後は、どのような取り組みを考えているのでしょうか。
森氏:魚屋さんは、おいしい魚を選び、提供することが仕事なので、あくまでも“裏方”の存在だと思っています。でも、魚を選ぶための目利きや、鮮度を保つための処理といった技術は、“裏方”だからこそ提供できるものであり、それこそが付加価値なのです。
今は、これまで”裏方”で
それによって、より多くの方々に魚に対する興味を持っていただき、魚食文化を全国に広めていくことができれば幸いです。
お客様のためにおいしい魚を選び
提供することが魚屋さんの仕事です
一人でも多くの方に魚が好きになってもらうために
伝えたいことがあります