PROFILE
NPO法人ブロードバンドスクール協会 理事 一般社団法人メロウ俱楽部 理事
熱中小学校教諭(一般社団法人熱中学園)
若宮 正子 氏
1935年 東京生まれ。1954年より1997年まで都市銀行およびその関係会社勤務。高齢者の生きがいづくりを目指すシニアネット「メロウ倶楽部」発起人、現在理事を務める。2016年にはシニア世代に向けたゲームアプリ「hinadan」を自身で開発。2017年にAppleのWWDCに招待され、CEOのティム・クックと対談し、「世界最高齢のアプリ開発者」と称された。内閣府主催の「人生100年時代構想会議」に参加後、2021年、デジタル庁デジタル社会構想会議構成員、内閣官房情報通信技術総合戦略室「デジタルの日」検討委員会構成員に就任。年間120本以上、全国での講演も行っている。
「DX」という言葉が当たり前となってきた昨今、「パソコン通信」と言う言葉はもはや隔世の感がある。その時代から現在に至るまで、ITの進化とともに歩んできたのが、若宮 正子氏だ。58歳ごろから初めて触れたというPCから、独自の観点から生み出される「Excelアート」、Apple WWDCに招待されるに至ったシニア向けアプリ「hinadan」の開発などをはじめ、さまざまなデジタルに向き合ってきた若宮氏に「今まで」と「これから」のITについて話を聞いた。
PCは私にとっての「お助けマン」
本日は、30年以上にわたって若宮さんが付き合ってきた「デジタル」についてお話を伺います。銀行に定年まで勤められていたとのことで、当時のことから教えていただけますか?
若宮 正子氏(以下、若宮氏)私が銀行に入った頃はすべて手作業の時代でした。高卒で銀行に入ったのですが、当時、女性に期待され「優秀」とされる基準は、手でお札を数えるような「単純反復作業」を素早く正確にできることでした。私は仕事が遅く、それにはかけ離れた存在だったのです。
そのうちに銀行もお札を数える機械や計算機が導入されて、その基準が関係なくなり、その後、企画開発のセクションに異動しました。時代とともに銀行も変わりました。銀行も自分たちで商品を考えて商売をする、ということになり、新商品開発チームにも入れていただいたり、上司も理解がある方が多くて、色々作りました。その後、管理職の端くれまで務めさせていただきました。比較的、恵まれた銀行員生活だったと思います。
PCとの出会いもその頃になるのでしょうか。
若宮氏:定年後もしばらく、関連会社や出向社員として働いていましたが、完全に退職したのは62歳の頃で、PCは現役の時に購入していました。
PCを購入するに至った経緯とはどういうものだったのですか?
若宮氏:機械より早くお札を数えられる人はいないので、機械化が進むと、私を助けてくれるのではないかとの思いからです。当時、普通の人はPCなんて嫌いという人も多かったですけれど、私にとっては「お助けマン」です。とても便利だなという感覚で割と早い時期に購入していました。
表計算ソフトを見て、何か描けそうだと感じた
PCを購入されてまず最初は何をされていたのですか?
若宮氏:私は新しいものを買うんですけど、全く正統派ではありません。入門書や教則本とかの類は一切見ないんです。自分のやりたいことをやってみようという感じで、まずは触れてみようと思いました。色々やっていくうちに、表計算ソフトの中で、枠線に色を付けたり、セルにグラデーション効果を使って色付けをしたりとか、「これは面白いな、何か描けそうだな」って気が付きました。
それが「Excelアート」の元となるわけですね。表計算のソフトって「数字を計算するもの」という固定概念がある方も多いと思いますが、それをまず「何か描けるもの」として考えられたわけですね。
若宮氏:「計算するもの」という感覚はありませんでした。今でもよくお話しするのですが、PCもスマートフォンも計算機や電話ではなくて、「電脳万能小箱」なのです。例えばWordでふりがなを付けるのにはどうするかという場合、Webブラウザの検索窓に「ふりがなをふりたい」と打てば、あらゆる情報が出てくるわけですから、PCの勉強なんてしなくていいですよね。
「パソコン通信」での交流にロマンを感じた
おっしゃる通り、プロのデザイナーや映像関係のお仕事をされている方でも、チュートリアルはネットで検索するという方が今は多いようです。そのようなPCとインターネットを使ったコミュニケーションというものに初めて触れたのはいつ頃でしょうか。
若宮氏:「パソコン通信」というものに関しては、何かの雑誌でPCで交流できるという記事をきっかけに知りました。元来、新しいもの好きなので「パソコン通信」というもので、遠くにいる、顔を見たことも会ったこともない人と繋がるなんて面白いじゃないと、ロマンを感じてしまいました。
そのころのコミュニティといえば、niftyのニフティーサーブとか、NECのBIGLOBEなどです。そこの高齢者が集まるフォーラムに入って活動していました。その後、インターネットが普及してプロバイダーが「パソコン通信」から撤退し、根無し草になったのでインターネット上に自主運営のメロウ俱楽部を設立しました。私も設立発起人の一人です。最初のスタートからもう30年近くになりますね。
メロウ倶楽部のスタートはそういう形だったのですね。「パソコン通信」の時代からインターネット黎明期、そして現在に至るまでずっと続いているものってなかなかないと思います。
若宮氏:メロウ倶楽部は現在全国に会員が300人くらいいます。先日も100人近くがネット上で集まり、Zoomでのオンライン総会を行いました。運営は現在若手に、あ、メロウ倶楽部では「若手」って70代のことを指すのですが、その方たちが中心になって運営しています。30年近くのお付き合いの方も多いですし、一度も実際に会ったことのない方も親友という感じでずっと続いています。90歳を超える私の兄も色々面白いことを書いていますよ。
Webページも拝見させていただいたのですが、皆さん活発に活動されているのがわかりました。そしてもう一つ、「Excelアート」について、現在までにかなり多くの作品を作られていますよね。
若宮氏:私の『マーチャンのページ』に、「展示館」という形で200種類くらいアーカイブがあります。初期の頃はシンプルなものが多いのですが、近年では3Dにしてみたり、さまざまな国の民族柄をイメージして作ってみたりと、まだまだ可能性を試しています。今日、着ているブラウスも、Excelアートで作ったものを生地にして作りました。2021年、台湾のデジタル担当大臣、オードリー・タンさんにオンライントークショーの相手に呼んでいただいたとき、「あなたは“世界最高齢のプログラマー”と呼ばれているけれど本当はそうではない」と言われました。「あなたはプログラマーじゃなくて、アーティストですよ」と。アートのオープンソースコード化に成功した数少ない存在だと言ってくださって。「それがすごいのに、メディアの人は誰も取り上げない」っておっしゃってくださいました。
Appleから招待を受けWWDCへ
オードリー・タンさんのおっしゃる通り、若宮さんが作られたExcelアートを共有すれば世界のどこにいても同じものや、そこからさらにアレンジしたものを作ることができます。まさにデジタルアートの先駆けではないかと思います。2014年に「TED×Tokyo」でのスピーチ、その後、ゲームアプリ「hinadan」の開発をされるわけですが、その経緯をお話しいただけますか?
若宮氏:「TEDは東京で初めて開催された2014年にスピーチしました。「hinadan」の公開は2017年ですね。その頃、スマートフォンは一般的になっていたのですが、高齢者にとってはまだまだ使いにくく、年寄りが楽しめるアプリがありませんでした。それで「年寄りが喜びそうなアプリを作ってよ」と若い人に頼んだら「ぼくら年寄りじゃないから、わからないので、若宮さん自分で作ってみれば」と言われました。でもそんなものいきなり作れないし、素材を準備することだけやってみたんです。設計図と筋書きと、画像ファイルを準備したんですけれど、「ここまでできるのならば、いっそ自分で作ってみたら?実際に高齢者がアプリを開発するってすごく面白いと思いますよ、手伝うから作りましょうよ」という流れになりました。「じゃあ、自分で作ってみよう」となって、Swiftを覚えて、お手伝いしてもらいながら作っていきました。それで無事審査に通って、公開された後に、朝日新聞とCNNで取り上げていただいたんです。そうしたらある日「アップルからのご挨拶」というメールが来て、それを友達に話したら「怪しいよ、そういうのは危ないよ」って注意されました(笑)。でも実際そのメールを開いてみたら「ご一緒にアメリカへ行きましょう」とありました。WWDCに招待してくれると。しかも「あなたに会いたいと言っている人物がいます」って。それがCEOだっておっしゃるではないですか。"そうだ、このおじさんは箱物も中身にも責任を持っている唯一の人だ。このおじさんに意見を言わないで誰に言うの?”って思って、アップル・ジャパンの方も同行していただいて、ティム・クックさんにお会いしてお話しさせていただきました。
「私たち高齢者は目も悪いし、どうしたらもっとhinadanが良くなりますか?」と聞くと、「そうですね、じゃあ、フォントサイズを大きくしたら?」とか意見をくださって、「そうすると絵を小さくしなきゃいけないじゃない?」って返したり、本当にざっくばらんにお話をさせていただいたんですけれど、最後に「あなたにはとても刺激をもらえました」とおっしゃってハグしてくださいました。
現在は「岸田首相主催のデジタル田園都市国家実現構想会議」のメンバーであり、デジタル庁や総務省の会議の有識者議員を務めています。そんな中、去年、急に思い立ってデンマークに行ってきたんですけれど、あの国はデジタル化、ペーパーレス化を実現させています。「まずやってみて、そこから問題が出たら改善する」という考えで参考になることもたくさんありました。今、会議でお話しさせていただいているのは、町の図書館にデジタルデバイスを置いて、誰でも気軽にデジタルに触れられる環境を整えるという提案です。昨年「デジタルの日」で“デジタルに触れてみよう”とありました。それができるのが図書館だと思うからです。実際に見てきたデンマークの例を含めて、やはり今までより広い目で“デジタル”というものに向き合っている気がします。なぜ80歳を過ぎてこんなになったのか不思議ですね。講演会も年に120回くらい出ていますし。先週は北海道、今週は熊本と飛び回っています。
高齢者へ向けたIT、というよりは全世代、社会に向けたIT/DXという観点で色々ご意見されたり、講演をされているということですね。それでは、最後になりますが、本紙読者の方々もDX化に向けて、色々模索していると思います。そう言った方に対してメッセージをいただけますでしょうか。
若宮氏:前向きな明るい夢を持っていただきたいですね。DXというものは人間に冷たくするのではなく、優しさを持っていくということだと思います。例えば、お年寄りが避難する際にはスマートフォンでフォローをしてあげるとか、将来に対して明るい夢と、優しさを社会のDX化に取り入れられるとよいですよね。
入門書や教則本は一切見ないで
「まずは触れてみよう 自分のやりたいことをやってみよう」
という気持ちでPCに接していました