対話型生成AIは今後、オフィスワークを中心として人間の仕事の多くを代替すると見られている。AIによるブルシット・ジョブからの解放は、人類にどのような未来をもたらすのだろうか。
デスクワークの多くをAIが代替する時代が来る
ミクロ経済学理論に大きな役割を果たしたイギリスの経済学者、ジョン・メイナード・ケインズは、1930年の講演でこんな予言を残している。「100年後、一日3時間働けば十分に生きていける時代が訪れるだろう」。この言葉は、その60年ほど前に初版が発行されたカール・マルクス『資本論』に対するケインズの立ち位置の表明ともとれる。
9歳の子どもが朝6時から夜9時まで工場で働き続けた当時の英国社会をモデルに、マルクスは資本家が機械に投資することで熟練労働者のアドバンテージが失われるプロセスを浮き彫りにした。19世紀初頭に起こった労働者による機械打ちこわし運動(ラッダイト)もこうした中で生まれた。大英博物館図書室で統計資料を猟歩したマルクスが、資本主義の崩壊が間近と考えたのは故ないことではない。だが、英国の資本主義が限界を迎えることはなかった。1918年の普通選挙制達成に至る労働者の権利保護の取り組みを通し、英国はかつてない繁栄期を迎えたからだ。
話をケインズに戻そう。生成AIの急速な進化により、その予言はにわかに現実性を持ちはじめている。現時点ではビジネスへの生成AI導入は試行錯誤の段階だが、特に対話型AIの場合、各社の企業文化の反映でもある社内用語へのチューニングを終えた段階で、爆発的な普及が進むと予測する声も多い。いずれにせよ、それほど遠くない未来に、人間のデスクワークの多くをAIが代替する時代が来るはずだ。
機械による肉体労働の代替は、マルクスが考えたような資本主義の崩壊ではなく、8時間労働の一般化と豊かさの実現につながった。では、AIが知的労働を代替することで、社会はどう変わるのだろうか。
振り返ると知的労働の領域はこれまで、さまざまなテクノロジー進化の恩恵を受けてきた。PCによる表計算もインターネットによる情報の即時共有もドラスティックな変化だったはずだが、それによってオフィスワーカーの労働時間が短くなることはなかった。アメリカの人類学者デビッド・グレーバーは『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』でその理由をこう簡潔に説明する。無意味な仕事(ブルシット・ジョブ)が増えたからだと。
ブルシット・ジョブをAIが引き受けた先の世界
どうやら人間は、隙あらば新しい仕事を生み出す生き物らしい。ブルシット・ジョブが抱える問題は、働き手自身が仕事に意義を見出すことが難しい点にあるとグレーバーは指摘する。社会人にとり、仕事を通した社会への貢献の実感がモチベーション維持の重要な要素だ。ビジネスマンであれば、顧客のなにげない一言に支えられた経験は、誰もが持つはずだ。意味がないと知りつつ、生活のためやむなく行うブルシット・ジョブは、その体験が失われている。
グレーバーは、ブルシット・ジョブを五つの類型に分けで説明するが、生成AIにより代替できる業務はかなりの割合を占める。社内文書チェックだけを目的とした業務はその一例だ。また少なからぬ組織には、文書を残すための文書を起草する仕事も存在する。今風に言えば「やっている感」である。こうしたブルシット・ジョブは(それが必要かどうかはともかくとして)まっさきにAIが代替すべきだろう。
アメリカの労働市場を対象とした調査では、業務の25~50%が生成AIによって代替される可能性があるという。その結果には、いくつかの選択肢がある。一つは、テクノ失業を前提としたリソースの再配置である。生成AIによるオフィスワーカーの失業危機の一方で、日本はかつて経験したことがない人手不足に直面している。いわゆるエッセンシャルワーカーの仕事も自動化が進んでいるが、どうしても代替できない部分が存在する。それは、サービスのインターフェースの部分である。
対話型生成AIは専門性が高ければ高いほどチューニングが容易だ。司法行政文書はその際たる例だが、一方で非定型的であったり複合的であったりする仕事ほど代替が難しくなる。サービスのインターフェースはまさにそうした能力が求められる領域である。余談だが、生成AIによる代替が難しい仕事を一つだけ挙げるなら、それは営業職になるのかもしれない。
笑い話にもならないが、雇用確保という従来の価値観を最優先する限り、新たなブルシット・ジョブの生成もAIの仕事かもしれない。
ブルシット・ジョブをAIが引き受けた先の世界では、グレーバーが示す、ベーシック・インカムによる所得保障の社会が実現するかもしれない。産業革命後の社会では、労働者の権利保護がより豊かな世界につながった。我々は資本の論理に対し、再び労働者の権利という観点で社会をリ・デザインする必要があるのかもしれない。ケインズの予言の実現は、その先にある。