サイバーフィジカルシステムの広がり
サイバーフィジカルシステムという言葉を、しばしば見聞きするようになった。サイバーフィジカルシステム(Cyber-Physical System:CPS)とは、現実世界のモノや環境(フィジカル空間)とコンピューターやネットワーク上の情報世界(サイバー空間)を密接に結びつけ、相互に作用させる仕組みを指す。センサーを通じて現実のデータを取得し、それをサイバー空間で解析・判断し、アクチュエータなどを介して現実空間にフィードバックする。この「観測・分析・制御」のサイクルがCPSの基本だ。IoT(Internet of Things)が「モノをインターネットにつなぐ」技術であるのに対し、CPSはその上位的な概念であり、つながったモノやシステムを統合的に制御し、全体最適を実現する仕組みといえる。単に情報を収集するだけでなく、リアルタイムに意思決定を行い、現実世界の動作を変える点がCPSの特徴だ。
CPSの代表例として自動運転車が挙げられる。車両に搭載されたセンサーやカメラが周囲の状況を検知し、サイバー空間上でAIが交通情報や地図データを解析して最適な走行ルートや制御指令を導き出す。その結果が即座に車の動作に反映され、安全かつ効率的な走行が可能になる。製造業においては、工場の機械や生産ラインをセンサーで監視し、クラウド上で解析・最適化するスマートファクトリーがCPSの応用例だ。このようにCPSは、物理的世界と情報的世界を一体化することにより、社会や産業の運営を高度化する枠組みであり、スマートシティ、エネルギー、医療、交通、農業など多様な分野に広がりを見せている。
CPSという概念は2006年、アメリカ国立科学財団(NSF)が研究プログラムとして「Cyber-Physical Systems」を立ち上げたことに端を発する。当時、組込みシステム、ネットワーク通信、制御工学の各分野が発展し、それらを統合する新しい枠組みとしてCPSが提案された。2000年代後半には、CPSは電力システムや航空宇宙、交通制御、医療機器など、社会インフラ分野での応用が進んだ。特に、電力の需給をリアルタイムで最適化する「スマートグリッド」は、CPSの初期実装例として知られている。2010年代に入ると、IoTやクラウドコンピューティングの普及がCPSの発展を後押しした。ドイツ政府が2011年に提唱した「インダストリー4.0」はCPSを中核技術として掲げ、生産設備や物流システムをネットワークで結び、自律的に最適化するスマートファクトリー構想を打ち出した。日本では2016年の第5期科学技術基本計画において「Society 5.0」というビジョンが提示された。これは、サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させ、人間中心の社会を実現する構想であり、CPSをその中核基盤として位置づけている。こうした流れの中で、CPSは単なる技術体系から社会の運営モデルそのものを変革する枠組みへと進化してきた。
今後は「自律分散制御」と「安全性・信頼性の確保」が鍵
現代のCPSは、AI、ビッグデータ、エッジコンピューティング、クラウド、5G通信などの技術と密接に連携しながら急速に進化しており、情報と物理の統合によって「自律的・最適的に動く社会システム」を目指す段階に達している。製造分野では、CPSの進化形として「デジタルツイン」が注目されている。デジタルツインとは、現実の設備やプロセスをサイバー空間上に精密に再現した仮想モデルであり、現実の状態を反映しながらシミュレーションや予測を行うことで、機械の故障予知、生産計画の最適化、品質管理の自動化などが可能となる。都市やインフラ分野でもCPSの導入が進む。スマートシティでは、交通流、エネルギー、気象、環境などのデータを統合的に解析し、都市全体の運用を最適化する。災害時にはセンサー群からのリアルタイムデータを基に、避難経路やエネルギー供給を自動で調整する。医療分野では、ウェアラブルデバイスによる生体データの収集とクラウドAIによる健康管理がCPS的な仕組みとして普及しつつある。
今後のCPS発展の鍵は、「自律分散制御」と「安全性・信頼性の確保」である。社会のあらゆる要素がCPS化するにつれ、中央集権的な制御ではなく、各ノードが自ら判断し協調する分散型システムが求められる。同時に、サイバー空間を通じて物理システムを攻撃する「サイバー・フィジカル攻撃」への対策も不可欠となる。セキュリティと安全性を両立させる設計思想がCPSの発展には欠かせない。CPSの最終的な目標は、サイバーとフィジカルの境界を越え、人・モノ・社会システムがリアルタイムで連携し合う「自律的な知的社会」を実現することである。Society 5.0が掲げる“人間中心の超スマート社会”は、CPSの成熟によって初めて実現する。CPSは、デジタル化の次の段階、すなわち現実社会の再構築を導く中核技術であり、今後の社会基盤を形づくる存在なのだ。