
PROFILE
H2L,Inc., CEO 琉球大学工学部 教授 東京大学大学院工学系研究科 教授
玉城 絵美 氏
琉球大学工学部情報工学科卒。筑波大学大学院システム情報工学研究科、東京大学大学院学際情報学府でロボットやヒューマンインターフェースの研究を行う。2011年東京大学大学院で博士号(学際情報学)取得。アメリカのディズニー・リサーチ社、東京大学大学院総合文化研究科などを経験。2012年、H2L株式会社を起業。内閣府や経済産業省のイノベーション関連会議委員のほか、外務省WINDS(女性の理系キャリア促進のためのイニシアティブ)大使、内閣府STEM Girls Ambassadorなどを務める。2021年4月より琉球大学教授。
デジタルを用いてロボットやアバターと人間を相互接続することで、個人の体験を拡張できる世界を実現するBodySharing®(ボデイシェアリング)。スポーツトレーニングやリハビリテーション、就労人口の減少が続く農業などで活用が始まっている中、固有感覚の伝達による「体験共有」という革新的な技術を創造した玉城絵美氏に、BodySharingの実装によって広がる可能性とイノベイティブな発想のルーツについて聞いた。
トップアスリートの生理学的にありえない動きをデータで証明
玉城さんは現在、琉球大学工学部教授として学生たちの指導にあたる一方、経営者としてBodySharingという新たな概念の社会実装に取り組まれています。まずはBodySharingとはどのようなものなのか、ご説明いただけますか。
玉城 絵美氏(以下、玉城氏):重要なポイントになるのが「体験の共有」です。定義としては、人間の身体情報を、コンピューターを介して人と人であったり、人とバーチャルキャラクター、人とロボットが共有するための概念や技術要素、インターフェイスを包括する概念になります。例えば、キーボードやマウス、タッチパネルのようなインターフェイスデバイスの新バージョンと受け止めてもらえると助かります。
人体の動きを記録するテクノロジーには、3次元の動きをデジタルデータとして認識するモーショントラッキングなどがあります。従来の人体の動きの可視化や共有の方法論との違いはどこにあるのでしょう。
玉城氏:例えば、りんごを握ったときに感じる重さや手指の動き、力の入れ具合などの固有感覚は、体験の共有に不可欠な要素です。BodySharingは、力の入れ具合の可視化を通し、固有感覚の共有を可能にすることが大きな特長です。以前私たちは、あるメダリストの方の力の入れ具合の可視化に取り組んだことがあります。事前ヒアリングでお聞きした当人の筋肉の使い方は、バイオメカニクスでは説明のつけようがないようなものでした。しかし弊社の筋変位センサデバイスを装着いただき、力の入れ具合を可視化すると、ご本人の説明通りに筋肉が使われていました。これまでプレーを見て想像するしかなかった、トップアスリートの筋肉の使い方を共有できてしまうことがBodySharingの大きな特長です。

デバイスを装着し、アスリートによるお手本を真似ることで、誰もが同じようなプレーをできるようになるわけですか?
玉城氏:メダリストと同じプレーができるとまでは言いませんが、これまでにない視点のトレーニングが可能になることは間違いありません。例えば、プロゴルファーのスイング時の力の入れ具合をアマチュアが体験共有する実験では、スコアが100から80に改善されています。ただし能力は完全に定着するわけではなく、数カ月に一度、プロの力の入れ具合を共有することでスコアの維持が可能になるようです。

力の入れ具合の可視化はどのような仕組みで行われているのですか?
玉城氏:当初、脳から出力される電気信号で筋肉の状態を読み取ろうとしたのですが、とても微弱な電気信号を増幅しようとすると、蛍光灯の電波やテーブルに触った際の静電気まで増幅してしまうため、現実的ではありませんでした。私たちは赤外線を使った光学的方法を採用し、筋肉のふくらみを直接読み取る方法で固有感覚を可視化しています。
応用研究も基礎研究もないゼロからのスタート
今回ぜひお聞きしたいもう一つのテーマが、玉城さんのイノベーターとしての発想力、行動力の部分です。そもそも体験共有という新しい概念に思い至った経緯から教えていただけますか?
玉城氏:これまでいろいろな場でお話ししてきたことですが、私は大変な引きこもりでして、その一方では、アウトドアなどさまざまなことを体験したいという思いも持っていました。振り返ると、直接的なきっかけになったのは、高校時代に大病をして入院した際の体験でした。退屈な入院中、大部屋で大人気だったのが、おばあちゃんたちだったんです。入院患者が飢えている「体験」を誰よりも多く持つのが彼女たちだからです。6時ぐらいから起き出して、おばあちゃんたちの面白い話を聞くようになったとき、強く感じたのが体験の重要性でした。入院患者を取り巻くのは、究極の上げ膳据え膳の世界です。その生活の中でさまざまな体験が出来たら最高じゃないかと思ってしまったのです。
なるほど。でも居ながらにいろんな体験ができたら面白いと思うことと、実際にその仕組みを実現することは大違いですよね。
はい、まさにそのとおりです。ここから先は聞くも涙、語るも涙の世界なのですが、大学の工学部に進学した私がまず行ったのは、既存サービスの調査でした。最初に注目したのは当時普及が進んでいたテレビ電話の可能性でしたが、これは視覚や聴覚に基づく受動的な体験に過ぎず、私が考える体験共有を満足させるようなものではありませんでした。次にサービス化を前提にした応用研究に取り組む企業を探しましたがやはり見つかりません。このあたりで嫌な予感もあったのですが、基礎研究を調べてみても、それすらないわけです。こうなると私自身が基礎研究から始めるほかありませんよね。

それはいつ頃のことでしたか。
修士課程1年の2006年頃のことです。しかし、基礎研究が製品化されるには、何十年という時間を要することが珍しくありません。そこでまず考えたのは、一切寄り道せずに目標実現に取り組んだら、最短でいつ目標に到達できるだろうかという問いでした。私は2029年をゴールにしたロードマップを作成し、博士課程に進学して基礎研究で博士号を取得する一方、ベンチャーキャピタルでインターンとして働かせてもらい、経営や知財管理の知識の習得に努めました。法人を立ち上げ、多くの企業との協業を開始した今は、そろそろ仕上げの段階に差し掛かっています。
すごい行動力ですよね。そのモチベーションはどこにあったのでしょう?
ちょっと変わった言い方になりますが、私の場合、サボりたいという動機が全ての前提にあるんです。そもそも上げ膳据え膳で体験だけを共有したいという考え方自体がそうですよね。目標を最短距離で実現したいと考えたのも、やはりサボりたいからなんです。私は今、大学教授として学生に接し、経営者として従業員や顧客の皆様と接していますが、そこで強く感じるのは、堅実に生きることを大切にする一方で、例えば「サボりたい」というネガティブな感情はあえて遠ざける意識がとても強いのではないかという点です。もちろんサボられては困るのですが、やはりこうしたネガティブな感情に向き合うことも時には大切なのではないかと考えています。中学生の頃、アーノルド・シュワルツェネッガーさんの伝記を読み、驚かされたのは、あの方のモチベーションってお金持ちになり、周囲にちやほやされたいというのがほぼ全てなんですよ。それでも俳優として多くの人に感動を届け、政治家としても高く評価される実績を残されています。「どうすれば自分が楽をできるか」から発明家としての人生をスタートしたエジソンも同じですよね。イノベーションではネガティブな感情に背を向けるのではなく、それに積極的に向き合うことも大切なのではないかと思います。例えばレストランのサービスに不満を持ったとき、おいしい料理に集中することでそれを忘れるのも一つの考え方ですが、不満を持った理由を追求することは、イノベーションの観点では大きな意味を持つはずです。
人型ロボットが体験を共有作業を代行する近未来
BodySharingの社会実装でまず考えられるのは、冒頭で紹介されたスポーツトレーニングの領域になるのでしょうか。
玉城氏:スポーツトレーニングのほか、農業ロボットを介した就農体験といった領域でまずは普及が進むと考えています。その先にあるのが、人とロボットの体験共有という方向性です。日本では就労人口の減少が社会課題になっていますが、世界ではAIと人型ロボットによる労働の代替に向けた研究が急速に進んでいます。その際の大きな課題の一つがAIに力加減をどう学ばせるかという問題です。例えば、人間はワイングラスを掴む際の力の掛け方を体験として理解していますが、AIはそうではありません。あるビッグテックは生成AIを人型ロボットに組み込み、機械学習を回して解決を図るという取り組みを進めていますが、処理に必要な時間を考えると実用には程遠いのが実情です。しかしBodySharingであれば、厨房の洗い場で働く人の筋肉の動きに関するデータをロボットが共有することでこの課題を乗り越えることが可能です。
ちなみに人間と同じ作業をロボットが代行する世界は、2029年をゴールにしたロードマップにも含まれているのですか?
玉城氏:2026年か2027年には実用化できると考えていたので、ちょっと急がなければという状況です。例えば農業の場合、1年サイクルで仕事が回りますよね。農家の方は1年間 BodySharingでデータを収集すれば、翌年からロボットに仕事を代行させることもできてしまうわけです。自分の体験を共有できるロボットは1台だけではありません。自分は自宅で寝転んでいても、ロボットたちが仕事を行ってくれるわけです。また仕事をしていれば、辛いだけでなく、たまには楽しいこともあるわけですよね。BodySharingでは、そうしたロボットの体験を人間が共有することも可能です。
なるほど。さきほどの上げ膳据え膳の中で体験だけを共有したいという夢が実現してしまうわけですね。では、最後に読者の皆様へのメッセージをいただけますしょうか。
玉城氏:2026年か2027年には実用化できると考えていたので、ちょっと急がなければという状況です。例えば農業の場合、1年サイクルで仕事が回りますよね。農家の方は1年間 BodySharingでデータを収集すれば、翌年からロボットに仕事を代行させることもできてしまうわけです。自分の体験を共有できるロボットは1台だけではありません。自分は自宅で寝転んでいても、ロボットたちが仕事を行ってくれるわけです。また仕事をしていれば、辛いだけでなく、たまには楽しいこともあるわけですよね。BodySharingでは、そうしたロボットの体験を人間が共有することも可能です。
なるほど。さきほどの上げ膳据え膳の中で体験だけを共有したいという夢が実現してしまうわけですね。では、最後に読者の皆様へのメッセージをいただけますしょうか。
玉城氏:私たちの日々の仕事には、ロジカル的な苦労と感情的な苦労の双方が常に存在します。ロジカル的な苦労については、組織として解決に取り組む一方、感情的な苦労は個人の問題に帰着されてしまうことが一般的です。その結果仕事の中で生じるさまざまなネガティブな感情は抑圧され、なかったことにされてしまいます。しかし、今日お話ししたように、むしろネガティブな感情から新たな気づきやイノベーションの芽が生まれることは少なくありません。どのような動機であったとしても、新たな価値を創造できればそれは社会貢献につながるはずです。多様な動機にもとづき、イノベーションの実現に取り組む仲間が一人でも多く現れることを期待しています。
ヒューマノイドロボットの可能性に注目したい
技術的失業の一方で、特に地方の中小企業などでは人手不足が深刻です。
玉城氏:全国をまわっていると、確かに地域を問わず人手が足りないという声をお聞きしますが、その解決策は大きく二つに分けられます。一つはデジタル化の推進による事務作業の省力化です。生成AIの急速な進化に伴い、DXの出遅れが命取りにつながりかねないという状況は、企業主導のリスキリングの重要性を認識いただく上でも大きな意味を持つはずです。
もう一つはセンサー類が認識した情報をAIが理解し、ロボットが物理的な処理を行うフィジカルAIの活用です。製造業では以前からロボットオートメーションが普及していますが、いわゆるラストワンマイルは常に人間の手が必要でした。フィジカルAIはこうした人間の業務を代替してしまうわけです。あるコンシューマ向け製品は、洗濯物を干したり畳んだりを自動化できるため、家政婦さんの仕事が不要になってしまうわけです。2030年にはフィジカルAIを搭載するヒューマノイドロボット生産台数は自動車生産台数を超えるとも言われています。建設業などの人手不足もヒューマノイドロボットの活用による解決が期待されます。こういうお話しをするとAIによる技術的失業は避けられないように思えてしまいますが、例えば工場にヒューマノイドロボットを導入しようとした場合、ロボットをメンテナンスするための人材が必要になります。
AIの普及は、その管理という新たな雇用を生むわけですね。
玉城氏:そのとおりです。ヒューマノイドロボットの導入は、人間とロボットの使い分けという新たな業務をマネージャーに与えるはずです。ロボットに何を任せ、人間にどんな指示を与えるべきかを考えるのは、決して単純なことではありません。リスキリングをネバーエンディングジャーニー ―終わりなき旅に例える声がありますが、テクノロジーの進化に常に対応することが求められることを考えると、まさにそのとおりだと思います。
最後に読者へのメッセージをお願いします。
玉城氏:繰り返しになりますが、リスキリングは本来企業が主導して行うべきものです。リスキリングを通して成長した従業員が成長分野を担うことで業績の伸長が図れたなら、その利益を従業員に還元することで従業員の定着化を図ることが可能になります。また企業主導のリスキリングが優秀な人材確保にもつながることも声を大きくして伝えたい点の一つです。労働市場を見ると、若年層の間では「自分を成長させてくれる企業で働きたい」という要望が目立ちます。こうしたニーズに企業主導型のリスキリングが大きな意味を持つことは間違いありません。

石川樹脂工業株式会社のケースは、その分かりやすい例です。加賀市は2014年に日本創生会議が発表したリストにおいて消滅可能性都市に指定された自治体の一つですが、5年前には70名だった同社の従業員は、現在84名に増加しています。リスキングを起点とした好循環は、地域の雇用を確保すると共に、県外から有能な人材を招くことにもつながっているわけです。政府、自治体はリスキリングへの手厚い支援を提供しています。企業が成長するための取り組みの一つとして、ぜひリスキリングを活用いただきたいと考えています。
ネガティブな感情に正面から向き合うことが
イノベーションの突破口を開くことにつながる

