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PROFILE

精神科医・産業医/VISION PARTNERメンタルクリニック四谷院長
尾林 誉史 氏

1975年、東京生まれ。東京大学理学部化学科卒業後、株式会社リクルートに入社。社内外で頻発する「メンタル問題」に遭遇し、産業医を志し退職。弘前大医学部学士編入。現在、産業医(約20社)・カウンセリングの傍ら、各種メディアや講演など、産業医の重要性と役割を説く。「元サラリーマンの精神科医が教える 働く人のためのメンタルヘルス術」(あさ出版)など著書多数。

新型コロナウイルス感染症の5類感染症移行に伴い、テレワークからオフィスワークへの回帰が始まっている。入社以来、初めてのオフィスワークとなる新従業員や、受け入れ側となる先輩従業員は、対面によるコミュニケーションに不安があるかもしれない。産業医・精神科医として多くの方を診てきたVISION PARTNERメンタルクリニック四谷院長の尾林 誉史氏にメンタルケアについて聞いた。

働き方の多様化により精神面の健康に影響が

テレワークなど働き方が多様化している中で、座りすぎなどの健康被害がよく話題にあがっていますが、これは精神面の健康にも起こりますか?

尾林 誉史先生(以下、尾林先生):昔から心身一如と言いますが、「身体の健康が保てない方は心の状態も不安定である」という印象を受けます。コロナ禍により、リモートワークが増えたことで、人と人とが物理的に接触することが減りました。それによって「心」自体も従来のコミュニケーションが取れなくなり、心の水位が落ちたと思います。また身体的にも外出が減り、明らかに運動しなくなりました。改めて心と身体は密接につながっていると感じています。

コロナ禍の前後で訪れる患者さまの症状に変化はありますか?

尾林先生:コロナ禍の以前ですと「うつ」という症状を訴える方が多くいらっしゃいました。抑うつ症状というものになります。ビジネスパーソンだと「業務に集中できない」「頭が働かない感じがする」とか、「朝起きて仕事に向かう意欲が全く湧かない」などの症状です。コロナ禍の以降は、「うつ」が「不安」に切り替わりました。もちろん抑うつ症状にも不安感は入るのですが、「不安」だけを抱えている人は「うつ」とイコールではありません。「不安」というのは「うつ」のパーツの一つです。診断の際に「この方は不安を訴えて来院されたが『うつ』状態かもしれない」というケースもあります。それと不安障害という病気もあります。何をするにしても不安になってしまったり、昔対人恐怖症やあがり症と呼ばれていた症状も不安障害の一つになります。

コロナは「5類」に移行したとはいえ、全く読めない時期が長かったので、「この先行きに対しての不安」や「会社や自分がどうなるのか」と不安を訴える方がすごく多かった。今振り返るとそういう印象がありますね。

集中力の欠如や先生がご指摘された「常に不安である」といった症状は、コロナウイルスの後遺症としても取り上げられていますが、そこに関係性はあるのでしょうか?

尾林先生:実は、コロナウイルスの後遺症と従来の精神医学の枠組みの中で整理されている精神症状の関係は、まだ議論ができていません。「ブレインフォグ」という言葉も流行しましたが、考えることや集中するのが難しいといった症状を訴えて、「コロナウイルス後遺症なんでしょうか」と、来院される方も少数いました。脳の働きというと精神科が近いように感じますが、脳自体が感染症という明らかな原因で機能低下している可能性を考えると、精神科だけで考えるべき症状なのかというのは現時点での判定は難しいかなと思います。

心が疲れたときの対処法 安心できる環境づくり

先生のご著書にもそういった症状に見舞われた時の対応策として、「まず休む」と書かれていたのですが、まずは脳も体も休息するのが一番大切でしょうか?

尾林先生:「うつ」に関しては、まずはストレスの原因から離れる、しっかりと休み切ることがとても大切です。休息するのも意外と難しいことなので色々と工夫の仕方やコツがあると思います。しかし、「不安」を訴える方は休息というスタートが治療にとって良いかというと一概にそうは言えません。不安が起こるメカニズムは脳科学的にある程度は分かっているので、薬物療法の力も借りながら不安じゃない時間、状況を本人に再確認していただき、以前安心していた時の感覚を呼び起こしていただく、ある種の疑似体験をしていただくということが不安の場合には効果があるのではないかと思います。

症状が回復するまでの時間というのは、やはり人それぞれなのでしょうか?

尾林先生:数カ月でしっかりと回復される方もいますし、3年くらいの時間をかけてじっくりと戻る方もいます。うつの治療というのは大きく分けて薬物療法と精神療法の二つがあり、精神療法の中でもよく知られているのが認知行動療法です。認知行動療法は、少し違う角度から同じものを見ると、違って見えることを利用する精神療法です。画一的な捉え方や、ある刺激に対して同じ反応しかできなかった自分を少しずつ変化させることで良い方向に導く療法ですね。

例えば、経験や考え方、ポリシーなどを確立している方は、頭ではわかっていても、そのポリシーを手放すことに恐怖を感じます。ご自身のアイデンティティを失う感覚になるので、考え方を柔軟に切り替えられません。回復までの時間が長くなるのは、このあたりに理由があるのかも知れません。

現代医療では、精神疾患、メンタル不調の治療については、未然に起こらないようにするという考え方にシフトしていると感じます。今まさに現場で辛いと悲鳴を上げていらっしゃる方、既に片膝両膝をついて心が痛んでいる方のケアを十分に行いながら、未然にうつにならない社会を目指す、その社会が実現できれば素晴らしいと思います。

精神疾患、メンタル不調を未然に防ぐためには、相談できる人を想像しておくことが重要と聞きました。相手が家族でも友人でも上司でもやはり話を聞いてもらえる関係性を構築することは重要でしょうか?

尾林先生:「なんでも相談できる」「なんでも話せる人を探しておく」という準備は必要だと思います。ところが、本人が寡黙な性格だったり、ネガティブに自己解決する方など、うつの気質が強いと言われる方々は事情が異なります。なぜなら、その方たちは、必ずしも言語化して誰かに弱音を吐くことが問題解決にならない、もしくは言語化自体が難しいからです。

確かに言語化することで、自分の考えや悩みを再認識できる場合があるので、言語化には意味があります。ですが、話すことが難しいのであれば、一緒にいるだけで安心できる方と、ずっと黙っていてもいいと思います。安心できることは、心の回復には大きなきっかけになります。

先入観で諦めずに対話することが人間関係の処方箋

これから後期高齢者の方々が増えると思いますが、その方々の精神のケアも先生の領域には含まれるのでしょうか?

尾林先生:2025年、日本の人口の4人にひとりが、後期高齢者となります。今の後期高齢者医療の代表疾患は認知症です。加齢により脳の機能は低下します。年を重ねて高齢者となり、その方たち自体ができること、考えること自体が制限されて、当事者の方たちが困っています。当事者の方たちへのケアはもちろんですが、それとは別に支える方たちの負担や苦労が当然あると思います。

例えば、うつ病の患者さんを治療する際には、そのご本人だけでなく、ご家族や奥様、パートナーが一緒に闘っています。当事者だけが頑張っても、支える方たちのサポートなくしては、限界があるからです。

同じように後期高齢者の方たちを現役世代や若い世代が支えていくには、大変な負担や苦労がたくさんあります。私は若い世代が夢と希望を持ちながら、支えることを両立できる社会が理想だと思います。そういった意味では、当事者の方に対してサポートはもちろんですが、私は「そばで支える」ことが仕事なので、支えている人たちを支えたいと思います。

中小企業の経営者の皆さまや従業員の皆さまに、人間関係のアドバイスをいただけないでしょうか。

尾林先生:仕事柄、何かに対する処方箋をよく求められます。中でも人間関係について、「世代間ギャップ」や「仕事仲間と理解し合えない」といったお悩みを聞くことがあります。

これまで精神科医という立場で、幼い子供から人生経験の豊かな方まで、いろいろな方と接する機会がありました。よく言われるように若い子たちが上の世代と分かり合えない異質な存在であったり、コミュニケーションの取れない新人類になっているという感覚はありません。世代や年齢を意識するよりも、その人が何に興味を持ち、感動を覚え、何に不快を感じ、心動くのか? ちゃんと時間をかけて昔風の言い方をすると膝を突き合わせて丁寧に紐解いてみる。そういうことを話してもらうと、自分のことをちゃんと教えてくださる方が多いです。

ある程度、年齢を重ねた方たちは、若い子たちに対して、直観的に恐怖心や、不快な思いを感じる場合があります。分かり合えないとか、もうコミュニケーションが無理だと思ったら、しっかりと耳を傾けることを試してください。一見、周り道のように思えるかもしれませんが、聞いてほしいことや、分かってほしいことが必ずあります。まずは、興味と関心を持つことがすごく大切だと思います。

実は、人間関係の解決のヒントは、すぐそこにあります。先入観で諦めずに対話することに価値があると思います。話してみると、意外と「こんなこと?」といった場面も多いと思いますので、悩むより、まずじっくりと話してみることをお勧めします。

人間関係の解決のヒントは、すぐそこにあります。
先入観で諦めずに対話することに価値があると思います。