米国に比べて2〜3年遅れているとされる日本のIT活用。だが、経済産業省の元官僚で慶應義塾大学
大学院メディアデザイン研究科教授の岸博幸氏は、「東京オリンピック・パラリンピックまでの2年間は、巻き返しのチャンス」だと語る。急速な人口減少や少子・高齢化による労働力不足の深刻化も、日本のIT需要を押し上げそうだ。このチャンスに、どうやって企業にITソリューションを提案していけばいいのか? 岸氏は「導入が遅れてきた中小企業ほど、IT活用のニーズは高まるはず」と見る。
BP:岸さんは官僚時代にIT政策にかかわられ、現在も日本のIT活用に関するさまざまな提言を行っていらっしゃいます。残念ながら、日本のIT活用は米国に比べて遅れているといわれますが、2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックは、米国に追いつくチャンスをもたらしてくれるでしょうか?
岸博幸氏(以下、岸氏):ご指摘のとおり、日本のIT活用は20年以上も前から米国に比べて2〜3年遅れていると言われてきました。しかし、東京オリンピック・パラリンピックが2年半後に控えたいまは、遅れを取り戻す悪くないタイミングだと思います。
国内外の歴史を振り返ってみても、オリンピックの2年前というのは、さまざまなイノベーションや新しいサービスが登場しています。
例えば、前回の1964年東京オリンピックでは、選手村の選手たちに大量の料理を提供するためにセントラルキッチンが設けられ、それがファミリーレストランという新しいサービス業態を生み出しました。膨大な観衆を守り、安全に誘導するため、日本初の民間警備会社である日本警備保障(現・セコム)が誕生したのも、前回の東京オリンピックの2年前の1962年です。
また、いまでは世界中で使用されている男性トイレ・女性トイレのマークも、前回の東京オリンピックで採用されたピクトグラム(道案内や建物表示のための視覚記号)のひとつでした。
日本語のわからない外国人が困らないようにと使われた記号が、逆に「わかりやすい」ということで世界中に広がったのです。
同じように、今年から来年にかけては、日本でさまざまなイノベーションが起こるチャンスだと言えそうです。
米国よりも遅れているクラウドやビッグデータ、A(I 人工知能)、IoT(モノのインターネット)などの活用が一気に進む可能性もあります。
BP:そうしたチャンスを本誌読者である大塚商会のビジネスパートナー様がつかむためには、どうすればいいのでしょうか?
岸:チャンスを狙っているのは国内のIT企業ばかりではありません。大規模なクラウドサービスをグローバルに展開している米国企業などは、非常に手強い競争相手となるでしょう。
しかし、日本企業にも十分な勝算はあります。なぜなら米国のIT企業は、米国のビジネスのやり方を前提としてサービスを提供しているからです。
日本的なビジネスのやり方に合ったサービスを提供できるのは、日本企業しかありません。いかにお客さまのニーズをつかんで、きめ細かなサービスを提供できるかが大切です。
BP:しかし、ITの技術やサービスの大半は、米国企業に握られているのが実情です。日本発のテクノロジーやサービスが立ち向かうのは難しいのではないでしょうか?
岸:おっしゃるとおり、すでに押さえられてしまった市場をいまからひっくり返すことは不可能です。
しかし日本のIT企業は、すでに普及している技術やサービスを柔軟に組み合わせて、日本企業のニーズに合ったソリューションとして提供することを得意としています。
お客さまのビジネスに合った機器やシステムの選定、手厚くきめ細かなサポートなど、いかに日本らしい付加価値を提供できるかが重要だと思います。
BP:企業のIT活用がさらに進めば、海外勢との競争だけでなく、国内企業同士の競争も激しくなると思います。どうすれば競合他社とサービスの差別化を図れるでしょうか?
岸:お客さまがITソリューションを採用するときには、価格や技術レベルだけを見ているわけではありません。
むしろ大切なのは、「この会社なら、安心して頼める」というお客さまからの信頼を得ることだと思います。
お客さまから信頼されるためには、まず自分たちの社内の空気感をよくしていくことが大切です。
わたしの恩師の1人であるシンガーソングライターでタレントのやしきたかじんさん(故人)は、自分のテレビ番組を作るときに、何よりもスタジオ内の空気感を大切にしていました。
出演者がつまらないギャグを言っても一生懸命にウケてあげるとか、とにかく場の空気を盛り上げてスタジオ内の一体感を生み出していました。そのいい雰囲気が視聴者にも伝わったから、たかじんさんの番組は非常に人気を博したのだと思います。
同じように、自分たちの会社の空気感がよくなれば、その雰囲気はお客さまにも伝わるはずです。
今日のように、どのIT企業も同じような技術やサービスを提供できる状況下においては、それだけで差別化を図るのには限界があります。
いかにお客さまから信頼を得られる空気感を作るかが大切だと思います。
BP:日本企業は欧米企業に比べて仕事の効率が悪く、生産性が低いと言われています。生産性を上げるためにもITのさらなる活用は不可欠だと思うのですが、岸さんはどうお考えですか。
岸氏:この議論をするときに気を付けたいのは、生産効率と生産性を混同してはいけないということです。効率と生産性はイコールではありません。
一般に労働生産性とは、一定の時間に費やされた労働によって、どれだけ売り上げたのかを見る指標です。
仮に仕事の効率を上げて、同じ時間でより多く働いたとしても、売り上げが伸びなければ労働生産性は上がりません。サービスの単価を下げたり、商品を安売りしたりすれば労働生産性は下がってしまいます。
逆に言えば、無理に生産効率を上げなくても、サービスの単価を上げることによって労働生産性を高めることはできるわけです。ここでも、日本ならではの信頼関係や人間関係づくりが大切になってくると思います。
「この会社なら、安心して任せられる」という絶大な信頼を得ることができれば、たとえサービスの価格は高めでも、お客さまは注文してくださるはずです。
BP:ITの活用によって生産効率が上がれば、その分、お客さまに対応できる時間も増えるはずです。その時間を信頼関係や人間関係づくりに役立てるという方法もありそうですね。
岸:I Tの活用によって営業活動の自動化が進んでいる米国でも、じつは「ヒューマンコミュニケーションのほうがもっと大事だ」ということに気付く人が増えています。面白いことに、最先端のITにかかわっている人ほど、そうした思いを強くしているようですね。
例えば、シリコンバレーのあるベンチャーファンドは、クルマで30分以内に行ける場所にあるベンチャー企業にしか投資しないと決めています。
何か問題が起こったときには、すぐに駆け付けて、経営者からじかに状況を聞いたり、アドバイスをしたりすることが大切だと考えているからです。
ITはたしかに便利な道具ですが、それによって効率性を追求すると、人間関係がどんどん希薄になってしまいます。米国の先端的なIT関係者は、それに気付き始めているのです。
BP:効率だけを追い求めるのではなく、いかに人間関係を維持するかというバランスを保つことが大切なのですね。
岸氏:そうしたバランスの取れた対応は、もともと日本人の得意とするところです。農耕社会で長屋の伝統を持つ日本人は、人間関係づくりに長けていますからね。無暗に米国のやり方を真似て効率性を追求するのではなく、日本本来のよさをもっと生かすべきではないでしょうか。
例えば、日本には海外から伝わったモノを改善して、よりよりモノに作り替える創意工夫の伝統がありました。
米国で発展したクルマから余分なものをそぎ落としてコンパクトカーを作ったり、大きなテープレコーダーから必要な機能だけを取り出してウォークマンを作ったりしたのが代表例です。
創意工夫には創造力が要求されますが、ITの普及によって物事を深く考える時間が削がれると、創造力が衰えてしまう懸念があります。
米国の先端的なIT関係者はそうした弊害にも気付いていて、自分の子どもたちは、校内でPCやタブレット端末の使用を一切禁止している学校に通わせているそうです。
対照的に、日本では学校教育にタブレット端末を活用する動きが広がっていますが、日本人が伝統的に磨き上げてきた創造性が失われてしまうのではないかと心配でなりません。
BP:一方で、日本は急速な人口減少や少子・高齢化という課題に直面しています。生産年齢人口が減り続け、労働力の確保が年々厳しくなっていますが、そうした課題を抱える国だからこそ、もっとAIなどを活用すべきではないでしょうか。
岸氏:おっしゃる通りです。人間がこれまでやってきた仕事の多くがAIで代替できるのですから、活用しない手はありません。
日本は他の国々に比べて人口減少や少子・高齢化が急速に進んでいる「課題先進国」と呼ばれています。
課題が多い国ほど、それを解決するためのアイデアやテクノロジーを採り入れるチャンスが潜んでいるのです。
冒頭に述べたように、日本におけるIT活用は20年以上も前から米国に後れを取ってきましたが、これから巻き返せるチャンスは十分にあります。
なぜなら、日本の会社の99%を占める中小企業では、まだITの活用がそれほど進んでいないからです。
なぜ中小企業のIT活用が進まなかったのかと言えば、これまでは機器やシステムの導入コストが高く、中小企業の予算では採り入れたくても採り入れられなかったからです。
しかし、今日のようにクラウドコンピューティングが普及し、高性能なコンピュータやアプリケーションを安く利用できるようになれば、一気に普及が進む可能性もあります。
その結果、日本の中小企業の効率や生産性は著しく高まり、日本そのものの競争力を上げることができるかもしれません。
BP:勇気づけられるお言葉をありがとうございます。最後に本誌読者にメッセージをお願いします。
岸:繰り返しになりますが、東京オリンピック・パラリンピックに向けたこの1〜2年が、日本発のさまざまなイノベーションを巻き起こし、生産性を高めるチャンスだと思います。そして、その役割を担うのは若い人たちです。
最近、若者に元気がないとか、草食化していると言われますが、わたしが大学で教えている学生たちを見ていても、それを痛切に感じます。
若い人ほど、もっと気合と根性を入れて頑張ってほしい。また、スマートフォンやタブレット端末ばかりをいじっているのではなく、もっと人間関係づくりに取り組んだほうがいいと思います。人と人とのコミュケーションを通じて、物事を深く考える習慣を身に付け、創造力を磨いてほしいですね。
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