安倍内閣が成長戦略の重点テーマに掲げる「働き方改革」。だが、「制度を整えるだけでは『働き方改革』は成功しない」と語るのは、日本マイクロソフトの業務執行役員を務め、現在は企業の「働き方改革」のコンサルティングなどを行うクロスリバー代表取締役CEOの越川慎司氏。企業が「もうかり」、個人が「幸せになれる」という、真の意味での「働き方改革」のあり方についてうかがった。
BP:越川さんは著書『新しい働き方』(講談社刊)の冒頭で、「『働き方改革』を目指さないでください」と書かれています。国を挙げて「働き方改革」を推進しようとしている中で、とても驚かされる提言だったのですが、その真意は?
越川慎司氏(以下、越川氏):「働き方改革」そのものを全面否定するつもりはありません。ただ、「働き方改革」を目的にしてしまう多くの企業は、「制度づくり」だけで終わってしまう事が多く、改革は成功しません。「働き方改革」は手段であり、目指すべき目的は企業の成長(=もうけること)と社員の幸せです。目的と手段をはき違えてしまうと、改革はうまく進みません。
政府による「改革」に先駆けて、自社の在宅勤務制度や育児・介護休業制度などを充実させようとする企業の動きは、かなり広がっています。しかし残念なことに、そうした企業の多くでは、せっかく制度を整えても十分に活用されず、労働生産性の向上や業績拡大にも結び付いていないようです。
なぜ制度の活用が進まないのかと言えば、在宅勤務や育児・介護休業などは、あくまでも福利厚生制度の一環にすぎず、「本来なら自宅ではなく、会社で働くのが当たり前」という固定観念がいまだ経営者や社員に染み付いているからだと思います。そうした意識に支配された状況下では、制度が整っても利用しにくくなるのは当然です。
大切なのは制度づくりではなく、その制度を活用することによって、自分たちがどのような理想の未来を手に入れられるのかというビジョンを経営者と社員が腹落ちすることです。「働き方改革」の本来の意義は、人材の時間生産性(労働の単位時間当たりの生産性)を上げることにあります。
これが実現すれば、企業はより少ない人材投入量でより大きな付加価値を生み出せる。つまり「もうかる」わけです。一方で社員は、効率的な働き方を手に入れ、残業時間が減ることによって、自己研鑽や自己目的の達成などに費やす時間を増やせます。言うまでもなく、これは個人としての「幸せ」に結び付きます。
この企業にとっての「もうけ」と、社員にとっての「幸せ」を両立させることこそが、「働き方改革」の本来の目的ではないかと思います。制度づくりをする前に、経営者と社員がその目的を理解し、互いの目的を達成するために働き方を変えていこうという意識を形成していくことが大切なのです。
BP:越川さんが以前勤めておられた日本マイクロソフトは、2011年2月からテレワーク(在宅勤務制度)などの「働き方改革」を実践し、ワークライフバランス満足度40%アップ、事業生産性26%アップ、女性離職率40%ダウン、ペーパー(紙資料)出力49%カットなど大きな成果を上げています。やはり、おっしゃるような経営者や社員の意識改革が成功に結び付いたのでしょうか?
越川氏:当時、日本マイクロソフトの社長に就任したばかりの樋口泰行氏が変革を積極的に推進したことがとくに大きかったと思います。
じつは、樋口氏はもともと「働き方改革」の効果については懐疑的でした。というのも、経営者自らがつねにオフィス内を歩き回り、社員たちを鼓舞して現場の士気を高めるというのが樋口氏の経営スタイルだったからです。テレワークの普及によってオフィスに社員がいなくなると、気軽に声をかけられなくなる。ですから、当初はあまり乗り気ではありませんでした。
しかし、「働き方改革」がスタートしてから約1カ月後の2011年3月11日、そんな樋口氏の意識を大きく変える出来事が発生しました。東日本大震災です。
震災の影響で、品川にある日本マイクロソフトの本社に全社員が出社して働くことは困難となりました。樋口氏はやむを得ず、出社する必要はないので、それぞれの社員が働ける場所、働ける時間で震災復興の支援を行い、日常業務を続けてほしいと呼び掛けました。すでに、クラウドサービスなどテレワークのためのインフラも十分にそろっていたのですが、「1000年に1度と」言われた非常事態によって、ようやく本格的に動き出したのです。
その結果どうなったのか?事前に懸念されていたサボタージュなどによる労働生産性の低下は起こらず、むしろ震災復興支援などの追加業務もでき、社員全員が本社オフィスで働いているときと比べて、より多くのことができるようになりました。売り上げを下げることなくそうした支援活動まで行えたのですから、樋口氏が驚いたのは言うまでもありません。これをきっかけに、日本マイクロソフトは樋口氏のリーダーシップのもとで「働き方改革」に本腰を入れ、社員の意識改革や、制度、インフラのさらなる充実に取り組み、ご指摘いただいたような成果を上げるに至ったのです。
BP:まさに経営者の意思が、「働き方改革」を大きく前進させたわけですね。
越川氏:「日本マイクロソフトは外資系企業だから改革に成功したのだろう」と言われることもありますが、そうとは言い切れません。
社員の9 割以上は転職者ですし、その半分以上は日本企業出身者ですからね。社風はかなり日本企業に近いところがあります。日本企業だからできないのではなく、経営者や社員に「変わろう」とする意思がに、日本ではホワイトカラーの労働生産性が極端に低く、これが国全体の生産性を下げる大きな要因となっています。しかし、製造ラインと同じように危機感をもって取り組めば、日本のホワイトカラーの生産性も必ず向上するはずです。
BP:限られた労働時間で成果を上げていくためには、経営者だけでなく、実際に働く1人ひとりの社員も意識改革をしなければなりませんね。
越川氏:そこが非常に重要なポイントです。先ほども述べたように、企業にとっての「もうけ」と、社員にとっての「幸せ」を両立させることが「働き方改革」の本来の目的なのですから、経営者だけでなく、働く人々が「自分たちのための改革なのだ」という意識を持って、能動的に仕事のムダを減らしていくことが求められます。
ここで大切なのは、会社のためだけでなく、自分の将来のためを思って働き方を変えることです。
効率よく働く工夫を凝らしてムダな労働時間を減らせば、語学や資格の勉強、副業など、将来のキャリアアップのために費やせる時間が増えます。その分、昇給・昇進や転職、起業などのチャンスも広がるわけです。
しかも、時間生産性が上がり、その時間を使ってさまざまな勉強をするわけですから、人材としての市場価値も上がります。より有利な条件で、やりがいのある仕事に就ける可能性が高まるのです。
ここまで言えば、「働き方改革」とは国や企業から押し付けられるものではなく、個人が自分のために取り組むべきものなのだということに気付くのではないでしょうか?
BP:越川さんは著書の中で、ご自身のこれまでのキャリアアップについて、「内円」(自分がコントロールできる領域)と「外円」(自分がコントロールできない領域)の幅を縮めながら可能性を広げてきたと書かれていますね。
越川氏:キャリアアップすると、自分の裁量でコントロールできる領域がどんどん広がっていきます。入社して間もない時期は、上から頼まれた仕事もやらなければならないので、どうしても働く時間が長くなってしまいます。けれど、キャリアを積むに従って仕事に対する責任とともに自由も大きくなり、その自由を活かして、さらなる自己研鑽や人材としての市場価値を高めることができるようになるわけです。
つまり、キャリアアップを重ねれば重ねるほど、自分自身の「働き方改革」がしやすくなるのだとも言えます。
BP:個人としての時間生産性を高めていくために、具体的にはどのようなことをすればいいのでしょうか?
越川氏:まずは自分の行動を振り返って、時間のムダを徹底的に洗い出すことです。例えば、過去1週間の行動を洗いざらい振り返り、「メールの処理の仕方が遅い」とか「提案書づくりに必要以上の手間を掛け過ぎている」といった具体的なムダを発見して、1つずつ潰していきましょう。
時間のムダを省くためには、ショートカットできる仕事はなるべくすること。そして、できる限り多く人を巻き込んで、チーム力で物事を解決していくことです。
もちろんICTの活用も欠かせません。勤め先で「働き方改革」のためのインフラとして『Surface 』のようなタブレット端末やクラウドサービスの『Office 365』といったツールを用意しているのであれば徹底的に使いこなすべきですし、仮にそうしたインフラが十分に整っていない場合は、個人レベルでもある程度用意して利用するのが望ましいと思います。
BP:ムダな労働時間が減れば、自分の将来についてじっくり考える時間も取れそうですね。
越川氏:その通りです。3年後、5年後に「自分がどうなりたいのか?」をじっくりと考え、それを実現するために「足りない」と感じたことを、余裕が生まれた時間で学んでみてはどうでしょうか?
そこで大切なのは、自分の将来像をできる限り明確にイメージすることです。たとえば、せっかく浮いた時間を使って語学を勉強したのに、5年後、10年後の仕事で使う機会がまったくなかったというのなら、何のために勉強したのかわかりません。それこそ、大きな時間のムダになってしまいます。
日々の仕事に追われると、将来について考える余裕すらなくなってしまうこともありますが、そうならないためにも、ムダな仕事を省いて、自分のことをじっくり見つめ直せる時間をつくるべきなのです。
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