東京の定期観光バスの代名詞として知らない人はいない「はとバス」。今から20年近く前、深刻な経営危機に陥っていたことはご存じだろうか? その再建請負人として、わずか9カ月で奇跡の黒字化を果たし、V字回復に導いたのが今回インタビューする宮端清次氏だ。給与カットをはじめとする「徹底した合理化」と「サービスの向上」という相反する目標を達成し、瀕死のはとバスを再び大空に羽ばたかせた原動力は何だったのか? その秘密に迫る。
BP:倒産の危機に瀕したはとバスの再建を託されたのは1998年、宮端さんが63歳のときだったそうですね。
宮端清次氏(以下、宮端氏):まさに青天の霹靂でした。当時、わたしは東京都地下鉄建設株式会社で2年半後に開業を控えた都営12号線(現・都営大江戸線)の建設に携わっていました。
東京都庁に35年間勤め、交通局長などを経て退職した後、最後のご奉公のつもりで働いていたのです。
このまま無事“定年”を迎えるのかなと思っていたら、ある日突然、当時の青島幸男都知事に呼び出され、副都事から「はとバスを建て直してほしい」と言われ、「いったいどうなっているんだ?」と、ただ驚き、困惑するばかりでした。
BP:当時のはとバスの経営は、かなり深刻な状況だったと聞いています。
宮端氏:財務諸表を見て驚きました。何しろ4年連続で赤字を計上しており、売上高130億円に対して借入金が70億円にも達していたのですから。
しかも年間7回もの借り換え融資を受けており、借り入れが一度でもストップしたら、すぐにでも倒産してしまいかねない状況でした。
1998年と言えば、北海道拓殖銀行や山一証券といった大手金融機関が次々と経営破たんしたバブル崩壊後の金融危機の最悪期です。金融機関そのものが多額の不良債権処理に苦しんでいたのですから、いつまでも借り入れ融資を継続してもらえるとは限りません。
東京都は、現在と同じように当時もはとバスの筆頭株主でしたが、だからと言って民間企業を都民の血税で救うわけにはいきません。そこで何とか自力で生き延びさせようと、長年交通行政にかかわってきたわたしに白羽の矢を立てたのです。
皮肉なことに1998年は、はとバス開業50周年の節目の年でした。せっかく築き上げてきた伝統を絶やすまいと、必死に再建に取り組みました。
BP:かなり厳しいコストカットを断行されたようですね。
宮端氏:はとバスの社長に就任したのは1998年9月28日ですが、2カ月ほど前に内示を受けてから、すぐに緊急の合理化策を練り上げました。
その骨子は、1.過去2年間赤字だった路線や事業の廃止、2.運転手の乗務手当を拘束時間からハンドル時間(実際にハンドルを握った時間)に短縮、3.55歳役職定年とし、管理職を調査役にして給与を引き下げる、といったものです。
このほかにも無駄なコストは徹底的に省き、出るおカネをとことん減らすことにしました。
もちろん、一方で入るおカネも増やしていかなければなりませんから、「徹底した合理化」とともに、「サービスの向上」にも努めることにしました。
しかし、これらの合理化策を推し進めたとしても、その効果は半年から1年後にならないと表れないことがわかったのです。
わたしが社長に就任した1998年9月末から、期末の翌99年6月まで、残された時間は実質わずか9カ月しかありませんでした。もし、この期も赤字になったら5年連続です。赤字が5年も続くような会社は潰れたに等しいと言えますから、何としても残りの9カ月間で合理化を果たし、黒字を達成しなければと焦りました。
そこで、社員の皆さんの猛反発を受けることは重々覚悟のうえで、即効性のある合理化策として給与カットに踏み切ったのです。まさに断腸の思いでした。社長であるわたしが3割、役員が2割、社員が1割の給与カットを実施した結果、その年は約5億円の人件費を抑えることができ、3億6千万円余の黒字となりました。
おかげでどうにか、5年連続赤字を免れることができたのです。
BP:とはいえ、給与カットで得られる増益効果は1回限り。その後、V字回復を果たすことができた原動力は何だったのでしょうか? 給与カットで現場のモチベーションは下がらなかったのでしょうか?
宮端氏:正直に申し上げると、当初、現場の経営に対する怒りは相当なものでした。わたしは社長になった直後から、社員の皆さんを集めて説明会を何度も開き、「徹底的な合理化」と「サービスの向上」という2つのテーマを積極的に推し進めていきたい、という考えを丁寧に説明しました。 しかし、ある会で説明を聞いていた運転手の方から、「われわれはこの4年間、経営側が言うとおりに頑張って働いてきた。それなのになぜ給与をカットされなければならないのか? 経営の失敗の責任を、われわれに押し付けているのではないのか?」という強いお叱りをいただいたのです。
本音を言えば、失敗したのは前の経営陣なので、わたしが責任を問われる筋合いではないのですが、もちろんそんなことは言えません。ただ平身低頭、謝るしかありませんでした。
もちろん、社員の方々がそんな気分のままで業務に臨んだとしても、サービスが向上するわけがありません。
そこで気付いたのです。それまでわたしが訴えてきた「合理化」や「サービスの向上」というのは、ただ言葉を発していただけにすぎない。まったく実が伴っていないじゃないか、ということに。これでは、社員の皆さんがしらけてしまうのも無理はありません。
そもそもわたしは、都の命令を受けて天下ってきた人間です。ただでさえ社員の皆さんのほうを向いていないと思われても不思議ではない立場なのですから、わたしのほうから社員の皆さんにしっかりと向き合い、たんなる言葉としてではなく、「合理化」と「サービス向上」の何たるかを有言実行していかなければならないと考えたのです。
BP:具体的には、どのような取り組みをされたのでしょうか?
宮端氏:まず、社長室をなくして大部屋に移り、社員の皆さんを名前で呼ぶようにしました。とにかく、皆さんと顔を突き合わせて、日ごろからコミュニケーションを交わすことが大事だと考えたのです。さらに、社長専用車を共用車にして、電車とバスで通勤し、率先して合理化に努めました。
また、社員の皆さんと本音で語り合うために、「お帰り箱」という目安箱のようなものも設置し、社員の直訴に必ず返事しました。
給与カットによって、「会社はそこまで危機に陥っているのか?」と不安を抱く社員の方もいましたが、会社に不安や不満を持っているようでは、いいサービスなど到底できませんし、会社そのものが成り立ちません。「何でもいいから積極的に直訴しなさい」と呼び掛けて、不安や不満を1つひとつ潰していきました。
BP:合理化については、行き過ぎに対する反省もされたそうですね。
宮端氏:社員の皆さんに対する経営方針説明会の中で、ある女性ガイドの方から、
「バスの中で提供するお茶の葉の質が下がってしまって、お客さまに申し訳ない」という意見が出たんですね。
はとバスは、何度もご利用いただいているお客さまが多く、そうした常連のお客さまほど、サービスのちょっとした変化にも敏感にお気づきになられるものです。そのガイドさんの意見を聞いて、わたしは「社長失格だ」と強く反省しました。
会社が危機に瀕しているので、「何でもいいから、とにかく経費を節減しなさい」と伝えたのは事実です。
しかし、本社や間接部門の経費は節減しても、お客さまへのサービスの質に直接影響するものは、絶対に削ってはならない。そのことを言い忘れていました。社員の皆さんに教えられながら、わたし自身、何度も軌道修正を図りつつ、「合理化」と「サービスの向上」という一見相反する目標を1つひとつ一緒にクリアしていったのです。
BP:サービス向上のため、社長でありながら自らも乗客の1人として、何度もはとバスに乗られたそうですね。
宮端氏:わたしが社長になってから、はとバスの新しい経営方針として「お客さま第一主義」「現場重点主義」「収益確保至上主義」の3つを掲げました。
このうちの「お客さま第一主義」について、社員の皆さんとの会合でわたしの考えを伝えたのですが、どうも反応がよくない。そこで「わたしの言っていることがわからない人は手を挙げて」と問い掛けたところ、3割ぐらいの方が手を挙げたのです。
3割が手を挙げるということは、実際には半分以上の人がわかっていないはず。そして、わかってもらえないのは問い掛けている自分自身が「お客さま第一主義」の何たるかを身をもって体験していないからではないか、ということに気付いたのです。
そこで、「わからない人は休みの日に自腹を切って、はとバスに乗ってみてください。わたしもこれから月3回、妻と一緒にはとバスに乗ります」と宣言してしまったんです。
言ってしまった手前、やらざるを得なくなりましたが、嫌がる妻を連れて月に3回もバスに乗るのは、決してラクなことではありませんでした。1回当たりの運賃は8000円、夫婦2人で1万6000円ですから、おカネもばかになりません。
でもそのおかげで、お客さまがはとバスのツアーに何を期待しておられるのか、どんな点に不満を抱いておられるのかというのがよくわかりました。
自分が客の立場になってみれば、サービスの良し悪しを身をもって感じることができますし、同乗するお客さまからのさまざまな声も聞こえてきます。
そうした体験を重ねることによって、「サービス向上」のための提案にも説得力が増しただけでなく、経営者自らが率先して「サービス向上」のために努力しようとしている姿を見て、社員の皆さんも何かを感じ取ってくださったのではないかと思います。
BP:そうした努力によって、経営者と社員の心がひとつになったことが、はとバスの再生に結び付いたのですね。
宮端氏:いまでも「なぜ、経営の危機に瀕したはとバスをよみがえらせることができたのですか?」と何度も尋ねられますが、それは、現場の皆さんが「お客さま第一主義」に徹する意識を持って、実行してくれたからです。まさに再建の立役者は社員だったのです。
これが実現できたのは、お客さまに直接接する現場の皆さんこそが、はとバスの“顔”であり、“代表”なのだということを自覚していただけたからです。
それに気づいてもらうために、わたしは会社の組織図も大きく見直しました。以前の組織図は、上から経営者、役員、現場の社員という正三角形でしたが、これではお客さまがその下になってしまいます。本当はお客さまがいちばん上にいらっしゃって、その下に社員、役員、経営者が並ぶという逆三角形であるべきではないか。そう考えて、組織図をひっくり返したのです。
かつての組織図では社員の方々が“末端”のように扱われていましたが、じつは、お客さまに近い現場の社員の方々こそが、会社にとっての“先端”なのです。これは、はとバスに限らず、あらゆる会社に言えることではないかと思います。“先端”で活躍する社員の皆さんに、社を代表するという誇りを持って生き生きと働いていただくこと。それを支えるのが“末端”である経営者の務めではないでしょうか。
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