小泉純一郎政権時代に経済財政政策担当大臣、金融担当大臣、総務大臣・郵政民営化担当大臣などを歴任し、現在は東洋大学教授・慶應義塾大学名誉教授を務める竹中平蔵氏。新著『経済学は役に立ちますか?』(東京書籍刊)では、書名の通り、アカデミックな経済学が政策にどう役立つのかについて、大阪大学の大竹文雄教授と忌憚なく語り合っている。郵政民営化などを通じて日本が抱える課題と真正面から向き合った竹中氏に、日本経済を元気にするための方法についてうかがった。
BP:『経済学は役に立ちますか?』は、経済学が政策にどのように使われているのか、いないのかなどについて、竹中先生と大竹先生が対談された内容をまとめた本です。まずは、この本を出されたきっかけを教えていただけますか?
竹中 平蔵氏(以下、竹中氏):いまの世の中には、「経済学は重要な学問のひとつに違いない」という漠然とした認識がある一方で、「社会学や法学のように、本当に役立つものなのか?」という疑問を抱いている人が少なくありません。
見方を変えれば、それだけ「経済学についてもっと知りたい」と思っている人が多いのです。そんな方々のために、経済学が具体的にどう役に立っているのかをまとめたのがこの本です。
結論から言えば、経済学的な考え方は、政策づくりや政策決定に間違いなく役に立ちます。
経済政策づくりの現場では、よく政策担当者は“庭師”に、経済学者は“植物学者”に例えられます。
優れた庭師は、美的センスや空間構成力が優れているだけでなく、1本1本の植物に関する科学的な知識を使って、植える木の選定や組み合わせを考えます。つまり、植物学者的な教養を併せ持っているのです。
一方で、庭師と植物学者との間には、実践とアカデミズムという距離があるのも否定できない事実です。
小泉政権時代に経済政策の責任者として仕事をする機会を与えられたわたしは、そのことを強烈に感じました。
距離はちゃんと認めたうえで、よい庭( 経済政策)をつくるには経済学的な考え方が欠かせないのだということを、きちんと伝えたいと思いました。
BP:対談では、具体的な事例を数多く採り上げながら、経済学的リテラシーを持って政策づくりに取り組むことの重要性を説いておられますね。
竹中氏:消費税の議論ひとつを取っても、経済学的リテラシーを持った政策決定がいかに重要であるかということがわかると思います。
ご承知のように、消費税率が5%から8%に引き上げられた2014年に日本の税収は落ち込みました。税収を増やすための増税であったはずが、逆に税収を減らしてしまったのです。
増税すると消費が冷え込み、景気が悪くなって税収が減るだろうというのは、あらかじめ予想されていたことでした。安易に増税をするのではなく、むしろ景気をよくして日本のGDP( 国内総生産)を大きくしたほうが、税収は増えていたはずです。
戦前に6 度も大蔵大臣( 現在の財務大臣)を務めた高橋是清は、「1+1が2だと思っているようなエリートには、本当の財政はわからない」と言っています。経済学をしっかり勉強したうえで経済政策を決定しないと、大きな間違いを起こしてしまうのです。
BP:わたしたちが経済学的リテラシーを身に付けるためには、どのようにすればいいでしょうか?
竹中氏:正しい知識や情報を得て、合理的な判断をするためには、誰の意見を聞き、どの本を読むかということが決定的に大事になってくると思います。
残念ながら、テレビやインターネット、新聞、雑誌などで経済政策について語るコメンテーターの中には、経済学的な知識が乏しく、安易に論じている人も少なくありません。そうした人の本を何十冊も読むよりも、正しい知識や情報を持っている人の本を読むことが経済学的リテラシーを養う力になると思います。
ただし、誰が信頼に値する情報発信者なのかということを見極められるようになるまでには、それなりの読書量が求められます。まずはたくさんの本を読んで、その中から自分なりの情報収集の方法やロジックの立て方に気付いていくことだと思います。
BP:『経済学は役に立つのか?』では、規制緩和も主要テーマのひとつとなっています。竹中先生は経済政策の責任者として規制に向き合ってこられた豊富な経験をお持ちですが、改めて規制緩和についての先生のお考えをお聞かせいただけますか?
竹中氏:規制はとかく悪者扱いされがちですが、なかには強化しなければならない規制もあるということは、理解しておく必要があると思います。
代表例として挙げられるのが仮想通貨です。国民に損失を与えるようなことは絶対にあってはならないので、仮想通貨の発行や取引には厳格なルールを設けなければなりません。
一方で、ルールを緩めていかなければならない分野もあるわけです。
例えばAI (人工知能)などを使った自動運転車を実現するためには、公道を使った実験がどうしても不可欠ですが、現在の道路交通法では、公道に無人のクルマを走らせることは認められていません。
なぜなら、道交法はAIのない時代に作られたルールなのです。
ルールは、時代の変化やテクノロジーの進歩に合わせて変えていくべきものです。積極的に変えていかないと、日本はAIやロボット、IoT( モノのインターネット)、ビッグデータなどによる世界的な第4次産業革命の波に乗り遅れることになりかねません。
BP:なぜ日本では規制緩和がなかなか進まないのでしょうか。
竹中氏:ひと言で言えば、既得権益を持つ人々が規制を温存させようとするからです。わたしが小泉政権時代に取り組んだ郵政民営化も、既得権益を持つ人々の激しい抵抗に遭ったことは、記憶に新しいのではないでしょうか。
そもそも郵政事業は明治時代に国が始めたものですが、その当時は全国に郵便のネットワークを組織できるような資本を持っているのは国しかありませんでした。だから国営事業として始まったわけです。
しかし、いまでは宅配便会社のように同様の事業を全国規模で展開できる民間企業はいくつもありますし、貯金や保険にしても、メガバンクや大手生損保などが提供しています。時代の変化とともに、国が郵政事業を続ける理由は薄れてしまったのです。
民間ができることは民間に委ねるようにすれば、効率化が進み、国民に利益がもたらされます。例えば、日本では封書の郵便料金は82円ですが、米国では約半分の40セント(約44円)です。国土の広さの違いを考えたら、いかに米国の郵便が安上がりであるかということがわかるでしょう。
仮に郵便料金が半分になったとしても、国民1人当たりにもたらされる利益は、せいぜい年間数百円です。
これに対し、既得権益を持っている全国の簡易郵便局長は、民営化によって局を子どもに受け継ぐときに多額の相続税を支払わなければならなくなるのですから、どうしても反対の声が大きくなります。
人数的には1億人の国民に対し数千人の簡易郵便局長でも、声の大きさが圧倒的に違うので抵抗力が強く、規制緩和が進まなくなってしまうのです。
これが既得権益のメカニズムです。
BP:規制緩和が進まないと、イノベーションが起こりにくくなって、日本はますます国際競争力を失ってしまうのではないでしょうか?
竹中氏:パナソニックの創業者である松下幸之助氏は、社員の方々に「やってみなはれ」というのが口癖だったそうです。既成概念にとらわれず、自由な発想でいろいろなことをやってみる中から、イノベーションは生まれるのだと思います。
規制緩和には時間が掛かると思いますが、国家戦略特区をはじめとするさまざまな特区もあるので、まずはそうした仕組みを活用して新しいことに取り組んでみるのも方法だと思います。
一方で、海外に目を向ければ、日本よりも規制が緩く、新しいテクノロジーやビジネスが急速に発展している国々もあります。
日本の中小企業やベンチャー企業には、そうした国々に積極的に進出してチャンスをつかむ勇気も求められているのではないでしょうか。
世界的な喜劇役者であるチャップリンの名言に、「夢と勇気とサムマネー」というものがあります。
何かを始めるときには、一歩踏み出す勇気と、少しのお金さえあればいいということです。この言葉は、小泉元首相も国会演説で語っています。夢があってもノーマネーでは何もできませんが、幸い日本にはまだサムマネーが残っているのですから、ぜひ勇気を持ってチャレンジしてほしいですね。
BP:『経済学は役に立ちますか?』では、「働き方改革」の問題についても語っておられます。本誌読者は改革に関連するソリューションも扱っているので、ぜひ竹中先生のお考えをお聞かせください。
竹中氏:現在の「働き方改革」の論議は、長時間労働の解消だけにフォーカスされていますが、むしろ企業にとっては多様な雇い方、人材にとっては多様な働き方をもっと自由に選べるようにする改革のほうが重要だと思います。
そのためには、正社員と非正規雇用者や派遣労働者、パートタイム労働者との間に横たわる賃金や待遇の格差をいかに解消していくかが問題です。
また、間もなく「人生100年時代」を迎える今日においては、マルチステージの人生設計というものを考えていかなければなりません。
いままでのように80年の人生では、約20年学び、約40年働き、約20年の老後を過ごすという1回きりのステージで終わりですが、寿命が20年延びれば、働き終わってからもう一度新たなことを学び、また働くというマルチステージの人生も選べるようになるわけです。そうした人々にどのように働く機会を提供し、活躍していただくのかも考えなければいけません。
多様で自由な働き方を実現するには、政策に頼るだけでなく、企業が自主的に制度を整えていくことも大切です。
人材活用を真剣に考えている企業は、すでに独自の「働き方改革」に動き出しています。
企業経営者にお願いしたいのは、社員の方々の兼業を認めてあげることです。これなら就業規則を変えるだけですぐにでも実施できます。
複数の仕事ができるようになれば、生活の糧が増えるだけでなく、知識や経験、人脈などの幅も広がります。それらは、「人生100年時代」をよりよく生きるための財産になるはずです。
BP:最後に本誌読者にメッセージをお願いします。
竹中氏:日本人は、勤勉性や高度な技術、譲り合いの精神といった素晴らしい力をたくさん持っています。その力を信じて、変化を先取りしながら新しいことに果敢に挑んでいけば、必ず日本経済はよくなるはずです。
ただし、自分たちの力を過信するのは禁物です。「われわれにできることは隣国の人々にもできる」という謙虚さを持ちつつ、「夢と勇気とサムマネー」で行動を起こしてみてください。
時代の変化は年を追うごとに速まっています。思い立ったら、いち早く行動を起こすことが大切です。
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