居食屋「和民」などの外食事業をはじめ、介護、中食、農業、環境など幅広い事業領域に拡大するワタミ株式会社(以下ワタミ)。1984年に24歳で創業し、バブル崩壊後の「失われた15年」にワタミを東証1部上場企業に育て上げた渡邉美樹代表取締役会長・CEOは、「不況こそが、企業が強くなるチャンス」と語る。100年に一度といわれる不況下において販売に求められる姿勢や、サービス業におけるITの可能性について、外食産業の風雲児に聞いた。
BP:ワタミは1980年代のバブル景気と、「失われた15年」と呼ばれる不況を経験したわけですが、不況をどのように生き抜き、今日の成長を実現したのでしょうか。
渡邉美樹氏(以下渡邉氏):居食屋「和民」は、バブル崩壊直後の1992年に誕生しました。不況でなければ誕生しなかった業態だと思います。
バブル景気の最中だった創業当初はお好み焼屋チェーンを展開していました。ところが、バブルが弾けて一気に売れなくなり、27軒あったチェーン店を全部潰さなければならなくなったんです。
そのときに、社員を路頭に迷わせるわけにはいかず、受け皿として作ったのが「和民」でした。どうせやるなら、「居酒屋」ではなく「居食屋」をやろうと決めました。なぜ“酒”ではなく“食”かというと、当時の居酒屋チェーンのメニューは、ほとんどが冷凍やチルド食品だったんです。そこで、「手づくり」「安全・安心」「豊富なメニュー」「季節感」があって、かつ値段も「安い」という5つの要素を満たした、今までどこもやったことのない新業態にチャレンジしたのです。
当時は「無駄なお金は使いたくない」という風潮だったので、居酒屋業界は一気に冷え込み、「どうせ行くなら、安くておいしいところに行きたい」と、店が選別されるようになりました。その中で、「和民」は注目され、他社が前年比で売上を割り込んでいるときに、「和民」だけは前年比105%、106%と伸び続けたのです。
だから私は、不景気はいいことだと思っているんですよ。企業が強くなるため、新しいことにチャレンジするためには絶好の時期だと思います。
BP:「居食屋」という新業態を作り上げることができた原動力は何だったのでしょうか。
渡邉氏:「できない」と言われることをできるようにするのが経営です。
先ほどの5つの要素を満たした居酒屋は当時どこにもなくて、外食の専門家に言わせると、「そんなこと、できるわけない」という世界だったわけです。
「安全・安心」のため、有機食材を提供することにチャレンジしたのですが、日本の農産物のうち有機農産物が占める割合は、わずか0.18%しかないわけですよ。これでは全国600店舗が安定的に仕入れることはできない。普通だったら、あきらめるんでしょうけれど、どうしてもやりたいのなら、自分たちで作ればいい。だから自分たちで農業ビジネスを切り拓いていったわけです。
自分はどういう世界をつくりたいのか、どういう価値を世の中に提供したいのかをゼロからしっかり考えることが大切でしょうね。
BP:外食のほかに、介護、中食、農業、環境と幅広い事業を展開しているのも、「こういうものを実現したい」という自分の思い描く世界があるからでしょうか。
渡邉氏:そうです。事業選択については2つの視点を持っています。1つは、我々にしかできず、それをやることで、お客さまからとびきりの「ありがとう」を集められるかどうか。
例えば、これから力を入れる高齢者向けの宅配弁当サービスは、まさに我々だけができるビジネスです。日本最大級の有機農場を持っていて、なおかつ手づくりのノウハウと拠点を日本中に持っているワタミにしか提供できない弁当があるわけです。誰でもやれることなら、やる必要がないわけですよ。
もうひとつの視点は、自分たちの世界を作り上げていくために、どうしても自分たちでやらざるを得ない事業を切り拓いていくということです。
環境メンテナンス事業などがそうですね。環境にやさしい店づくりや店舗のメンテナンスを当時誰もほとんどやっていなかった。我々がやらなければ、その世界は作れなかったわけです。
BP:「地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになりたい」がワタミのスローガンですね。「ありがとう」を求め続ける理由は何でしょうか。
渡邉氏:ベースには「社員が幸せである会社を作りたい」という思いがあります。
社員の幸せとは、それぞれが素敵な人生を生きることであり、素敵な人生とは人間として成長していくことです。
社員に対しては、「一人ひとりが大きな夢を描きましょう。みんなの夢が叶うことで大きくなっていくような会社にしましょう」と言っています。だから、「夢に日付を入れよう」という合言葉ができて、社員全員が「date your dream.手帳」を使うようになりました。夢に日付を入れれば、その実現のために毎日のやるべきことが明確になって、実現する可能性が高まるのです。
そして夢を叶えるプロセスの中で、たくさんの「ありがとう」をもらいましょうと。我々にとっては、「ありがとう」こそが、夢を叶える原動力です。つまり、一人ひとりの社員が幸せになることが目的であって、「ありがとう」を集めることはその手段なんです。
BP:ワタミのビジネスにおいて、ITはどのように活用されていますか?
渡邉氏:私が最初にITを意識したのは「和民」を立ち上げた頃ですね。立ち上げ当初、メニューを冷凍食品ではなくすべて手づくりにした結果、とにかく原価率と人件費が合わず苦労しました。売上は上がっているのに大赤字という状況を作ってしまいました。何が大事だったかというと、売れ筋予測なんですね。だからPOSデータで、どのメニューが何品出るという傾向を分析して、翌日の仕込みの指示をするようにしました。あのときは、「ITって便利だな」と思いました。とはいえ、人がやらなくて済むところは機械にやらせるべきですが、人がやらなければいけないところまで機械にやらせるのはどうかと思います。
我々は外食業界に先駆けてハンディターミナルを導入したんですが、その理由は、注文を伝票に書いて厨房に持っていく時間をお客さまのために使えるようになるからでした。
介護事業でも、一人ひとりのおじいちゃん、おばあちゃんの生活状況や食事状況を端末に入力することで、情報共有するシステムを導入しています。そうすると、誰もがその人に対して、同じ情報をもとにより良いサービスが提供できるようになります。ITで楽をするということではなく、どうやったらもっとお客さまと触れあえるかを考えながら導入しています。
BP:ITの今後の発展に期待することは?
渡邉氏:ITの発展に期待するよりも、むしろ「ITにできないことは何か?」という視点で物事を考えています。
高齢者向けの弁当宅配サービスでも、我々は一人ひとりがお客様の顔を見て、手渡しをして、「元気ですか?」と声を掛けて、お弁当だけじゃなく心も届けようという取り組みをしているわけです。心のふれあいは、どんなに頑張っても機械にはできないですからね。
機械にできないことをやっていくのが、サービス業で成功するための基本です。機械ができることをやっても、必ず淘汰されます。効率では機械に勝てるはずがないわけですから。
サービス業向けのIT開発や販売にかかわる人は、そこを意識したほうがいいですね。本来人間がやらなければいけないところまで、ITの領域だと考えるようになったら失敗するでしょう。
BP:最後に、不況の中で活路を求めている本誌読者にメッセージを。
渡邉氏:実は私自身、起業する前に半年間、コンピュータの販売を経験したことがあるんです。
大学を卒業した22歳のときに、「24歳の4月1日に社長になる」と夢に日付を入れて、それまでの2年間のうち、半年は経理・財務の勉強、次の1年は佐川急便で資金稼ぎ、残る半年は外食の勉強という設計図を描きました。
経理・財務を勉強するために入った最初の会社が、たまたまパソコン販売に業務を移行していた時期だったんです。それで、コンピュータの販売先を探す仕事も受け持つことになりました。
当時心掛けたのは、とにかく「自分を知って、相手を知ること」でした。「この機械で何ができるの」とお客様に聞かれたときに、悪い営業マンって、できないことまで「できる」と言ってしまうんですよね。しかし、このお客様は何を望んでいらっしゃるのか、どの部分の情報化や、どのような情報管理をしたいと思っているのかということを理解したときに、当時扱っていたパソコンではできないことがいっぱいあったんですよ。
そんなとき、「当社が扱う製品ではお望みのことはできません。別の会社に相談したほうがいいですよ」と言ってあげることが大事だと思うんですよね。相手のために「売らない提案」することで信頼を得て、別の案件受注へとつなげていく。できないことを「できる」という先輩営業マンを横目に見ながら、「営業の本質とは、相手の幸せを願うこと。相手の幸せを願うとは、すなわち相手のニーズを知ること。なおかつ、自分の売っているものに対して圧倒的な知識を持っていることだ」と思いました。営業にとっていちばん大切なのは、「愛情に基づく知識」だと思うんです。相手のためになりたいと思えば、いろんなことを勉強しなければならないし、いろんな知識が要求されるわけです。
もうひとつ、半年間の営業経験で確信したのは、「歩いている者が勝つ」ということです。要領の良さは、ある程度は通用するけれど、中長期で見れば必ず要領の悪い人間が勝ちます。これは半年間、先輩たち全員の歩き方と営業成績を見比べてわかったことです。「努力は絶対に裏切らない」ということを実感しましたね。
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