出版不況の中で270万部以上も発行し、いまや社会現象化すらしている『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(以下『もしドラ』、ダイヤモンド社刊)。その作者である作家の岩崎夏海さんは、同書を通じてドラッカーの経営論のエッセンスを分かりやすく伝えるだけでなく、本の企画そのものにもドラッカーの考え方を応用し、「売れるべくして売れる本」をつくり上げたという。そのヒットメーキングの舞台裏について聞いた。
BP:『もしドラ』は270万部を超える大ベストセラーとなりました。岩崎さんは執筆時点から「200万部を超える本を出す」と宣言されていたそうですね。その自信の根拠の一つが、ドラッカーの『マネジメント』にも書かれている『顧客の創造』に取り組んだことにあるそうですが、詳しくお聞かせいただけますか?。
岩崎夏海氏(以下、岩崎氏):まず『顧客の創造』についてわかりやすく説明しましょう。今日のテレビ業界においては、視聴率が20%取れると関係者は大喜びしますが、逆に言えば80%の人が見ていないということになります。
このように、顧客よりも「顧客でない人」のほうが多いとすると、そちら側に豊かな市場が広がっているのではないかというのが『顧客の創造』の基本的な考え方です。
企業は、得てして既存顧客だけに目を向けがちです。その場合、既存顧客だけにセグメントされた商品しか提案できなくなるので、どうしても苦しくなります。ドラッカーはむしろ、既存顧客向けでない製品やサービスを開発したほうがいいと言っています。
経営会議では、「なぜ、われわれの商品は使われているのか」ということがよく議論されると思いますが、ドラッカーは、「なぜ、あの人はこの商品を使わなかったか」を問いなさいと言っています。営業に行ったけれど断られたというのなら、なぜ断られたのかを徹底的に考えるわけです。
僕もその前提で、常に既存の市場や事業を疑うようにしています。
BP:『もしドラ』の中では、主人公たちが『マネジメント』を読んで野球部の『事業の定義』についてあれこれ模索する点が印象的でした。岩崎さんは『もしドラ』の執筆に当たって、この本自体をどのように定義付けしたのでしょうか?
岩崎氏:ドラッカーの本には、「事業の定義を定めるときに、分かり切った答えが正しいことはほとんどない」と書かれています。一般に本の定義とは「読んで楽しい」とか「読んでいただく」といったものだと思いますが、まずはそれを否定するところから始めました。『もしドラ』の主人公たちも、最終的に「野球部は野球をするための組織ではない」という結論を導き出すわけですけれど、それと同じように、『もしドラ』という本自体も「読むための本ではないのではないか」と考えました。
そこで、この本はドラッカーの『マネジメント』という著書の内容をお伝えする目的があるので、教育的な用途に着目しました。
そのときに思い出したのは、何年か前の12月23日に本屋に行ったときのことです。店先にものすごい行列ができていました。お店の人に伺ったら、毎年12月23日が、とても混雑するのは、クリスマスプレゼントとして本をお買い求めになる方が大勢いらっしゃるからとのことです。お客さんの多くはご年配の方々で、おじいさんやおばあさんが、孫に贈る絵本や児童書をお買い求めになっていました。
そういう方がたくさんいらっしゃることを知って、「日本人は教育熱心だな」と思ったのですが、その風景を思い出してひらめいたのが、「『もしドラ』は読むための本ではなく、プレゼントするための本ではないか」ということでした。
実際に出版後は、「10冊買いました」とか「20冊買いました」と報告してくださる人が非常に多いです。読むための本なら1冊でいいですよね。だけど「贈るための本」と定義したことによって、10冊とか20冊とか、まとめ買いする人が現れました。
本のビジネスには約200年の歴史がありますが、最初から「贈るための本」として開発し、これほどまでに受け入れられたのは、おそらく『もしドラ』が世界中で初めてではないでしょうか。定義の変更により、イノベーションを起こしました。「自分では買わないけれど、贈られる人」という顧客を創造したのですね。
そういう『顧客の創造』に成功したことが、『もしドラ』が爆発的にヒットした理由の一つだと思います。
BP:新しい価値を創造したこと(イノベーション)が、新しい『顧客の創造』に結び付いたわけですね。
岩崎氏:『もしドラ』は、「贈る本」を念頭に置いたので、パッケージやタイトル、内容自体にも、それに合わせた仕掛けを施しました。『マネジメント』を学ぶ本ではあるけれど、参考書のように堅苦しいものではなく、楽しいものでなければいけないと考えました。「そんなに難しそうじゃないな」と気軽に手に取っていただき、読み進めるうちに自然と学べるようになっていれば最高ではないかと。そんな本があれば、贈る人も、もらう人もうれしいのではないかと思いました。
贈るための本として最適化されているので、値段が多少高くても、その価値を実感してお買い求めいただけると思います。価値のないものを売ろうとすると、価格がどんどん下がって、会社の利益は縮小し、従業員の給与も減っていきます。企業が存続するためには、新しい価値を生み出し、新しい顧客の創造をし続けることが大切なのだと思います。
僕は常に、価格を1万円に設定するのなら、顧客が「1万5000円出してもほしい」と思うくらい価値のあるものをつくろうと思っています。それが価値に対する値ごろ感をもたらし、売れる商品に結び付くのではないでしょうか。
BP:岩崎さんは『もしドラ』を通じて、読者に何を訴えたかったのでしょうか。
岩崎氏:基本的に訴えたいことはありません。エンターテインメントは、何かを訴えようとすると、逆に聞いていただけなくなることがあります。「聞きたければ聞いてください」という待ちの姿勢じゃないと、なかなかうまくいかないですよね。
読んでいただかなくても、分かっていただかなくてもいい。そういう心根でやることが大切です。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉どおり、やるべきことをやったら、相手の反応を待たないといけません。最後のひと押しは相手に行動させる。これは営業にも通じる哲学だと思います。
ドラッカーの『マネジメント』にも、「マーケティングの究極の目標は、販売(売り込み)をゼロにすること」という言葉があります。こちらからお願いしてモノを売るような態度では駄目だということです。相手から「売ってほしい」と言ってもらえるような製品やサービスを生み出さないとビジネスにはならないということです。これは営業や販売の極意だと思います。
BP:『顧客の創造』を実践するうえで大切なことは何でしょうか?
岩崎氏:顧客ニーズを重視するというのは、顧客の要望を聞くことだと思っている人が多いようですが、そうではありません。大抵の場合、顧客の言っていることは間違っています。
例えば、風邪をひいた子どもが病院に行って、注射を打たれそうになると泣き叫んで嫌がりますよね。だけど、「嫌がっているから」といって注射を打たなかったら、病気はますます悪くなる。同じように顧客もいろいろと注文を言ってくるわけです。それをいちいち聞いていたら、その裏にある顧客の本当の要望を満たすことができない場合が多いわけですよ。
顧客の声を聞くというのは、顧客の言うことを聞くのではなく、顧客の潜在ニーズを聞くということです。
ですから、むしろ「顧客の言っていることは間違いだ」と思ったほうがいいですよね。言っていることと逆のことをやったほうがいい。
潜在ニーズを探すには、まず常識を疑うということです。病院の方々に「病院の顧客は患者ではありません」というと怪訝な顔をされるのですが、そこからスタートすると、いろいろなものが見えてきます。そこからイノベーションが始まるのです。
BP:岩崎さんは、ゲームやWebコンテンツを制作する会社でご活躍されたご経験もあるそうですが、IT業界の抱える課題や問題点については、どのようにご覧になられていますか?
岩崎氏:IT業界だけに限った話ではありませんが、今の日本の会社には強靭な信念と意志を持った経営者が待ち望まれているのではないでしょうか。
IT業界は、常に新しい製品やサービスを生み出し続けなければ生き残っていけませんが、新しいものを創造しようとするときには、逆風も多いですよね。現場から「できません」と言われたり。そんなときに、「できなくてもやれ」と言えるような強い意思を持った経営者が必要だと思います。ホンダを町工場から世界的な自動車メーカーに成長させた本田宗一郎さんもそうでした。そもそも高度経済成長期に成功した会社では、「そんなことはできません」は禁句でしたからね。
iPhoneやiPadで大成功を収めた米国のアップル社も、社員全員が休みなく働いているようです。なぜ頑張れるかというと、トップであるスティーブ・ジョブズ前CEO(最高経営責任者)が休みなく働いていたからです。「トップが頑張っているから、俺も頑張らないといけないな」となります。人に頑張らせるには、まず経営者自身が頑張らなければならないと思います。
BP:日本経済には相変わらず閉塞感が漂っています。こんな時代をどう乗り越えていったらいいのでしょうか?
岩崎氏:僕はむしろ、日本という国には今、幸運にもチャンスが訪れていると思います。リーマンショックや政権交代、そして震災も含め、日本経済が20年間も停滞し続けてきた中で大きな出来事が立て続けに起こりました。かつてない危機感にあおられて、さまざまなシステムが変化する中で自分自身も変化を余儀なくされている方がたくさんいらっしゃいます。
5年前までは、既得権益とか、古いしがらみとか、古いやり方に縛られている人が圧倒的で、「変化しよう」という気運が全然ありませんでした。でも今は、どんなに保守的な人だって「このままではいけない」という危機感を抱いています。そう考えると、むしろ今はチャンスです。
危機をチャンスと捉えて変化していける人は元気になれるし、周りも元気にしてくれると思いますね。
BP:最後に岩崎さんの今後の予定について教えてください。
岩崎氏:10月に『小説の読み方の教科書』(潮出版社刊)という本を上梓しました。『もしドラ』の延長で、また『マネジメント』の本を出さないかという話もあったのですが、既存の成功に固執していたら前に進めないので、新しいジャンルを選択しました。これに限らず、今後も生涯を通じて新しい『顧客の創造』にチャレンジし続けていきたいと思っています。
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