1993年に空前の大ベストセラーとなった『「超」整理法』で知られる野口悠紀雄さん。その後のITの進化とともに、「コストと手間をほとんど掛けなくても、自動的に情報が整理される環境が整った」と指摘する。個人や中小企業でも、大企業に負けない知的生産力を手に入れられる時代がやってきたのだ。ファイナンス理論を専門とする野口さんに、東日本大震災後の日本経済の見通しと再生のための方法、さらにはGメールを活用した『超「超」整理法』のノウハウについて聞いた。
BP:野口先生は、震災後の日本経済をどう立て直すべきだとお考えですか?
野口悠紀雄氏(以下、野口氏):製造業一辺倒の産業構造を抜本的に変えるべきだと思います。
実は震災前から、日本の製造業の海外移転の動きが進んでいます。経済産業省の「海外現地法人調査」によると、2010年10〜12月の日本企業による海外投資は前年同期比約50%増、対アジアでは約70%増に達しています。これに対し、国内の設備投資はわずか4%しか増えていません。
日本企業は日本から脱出しつつあります。
急激な円高で競争力が低下したことが大きな原因ですが、今回の震災によって、企業の海外移転の動きはますます加速するでしょう。その原因は電力コストの上昇です。
東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で発電の火力シフトが進んでいますが、これが企業の電力コストを上昇させる要因となります。
東京電力(以下、東電)は火力シフトによって今年のLNG(液化天然ガス)調達額が約1兆円に達すると見込んでいます。東電の年間の電気販売収入は約5兆円ですから、1兆円を単純に料金に上乗せすると、電気料金は約20%上がることになります。さらに原発問題の処理や賠償の費用もかかります。それらがすべて料金に転嫁されれば、電気料金が4割前後上がる可能性もあるのです。
日本の製造業の場合、製品価格に対する電力コストは約1%です。それが1.4%になるだけなので、さほど影響はないと思うかもしれませんが、日本の製品の利益率はわずか5%前後しかありません。これと比べると0.4%はかなり大きな負担増だと言えます。
かといって電気料金の値上げ分を製品価格に転嫁できるかといえば、国際価格とかけ離れてしまうので難しいと思います。賃金を下げるにも限度がある。結局、企業は利益を縮小せざるを得なくなるわけです。それでなくても日本の製造業の利益率は低かったのですが、今回の震災によって、国内製造で利益を上げるための条件は完全に失われたと言えます。企業の海外移転の動きは、当然ながら国内の雇用に大きなダメージをもたらします。
BP:もはや製造業だけに頼るわけにはいかないということですね。
野口氏:製造業から、金融やITといった付加価値の高いサービス産業に構造転換を図る必要があると思います。
製品輸出で稼ぐやり方は、今回の震災で通用しなくなってしまいました。今後は、貿易収支の赤字傾向が長期的に定着することになるでしょう。
復興とともに生産が回復すれば輸出も回復すると思っている人が多いようですが、長期にわたって電力供給が制約されることになるので難しいと思います。震災前、日本は年間約8兆円の貿易黒字を稼いでいましたが、製品輸出の減少とエネルギー輸入の増加によって、今後は年間数兆円規模の赤字が続くことになるはずです。
ただし、貿易収支が赤字になっても、経常収支がマイナスになることはないと思います。日本には年間12兆円近い所得収支(海外への投資で得られる収支)があるからです。
今後、日本経済を再生するためには、貿易収支よりも所得収支を伸ばすこと、つまり海外資産をうまく運用することに力を入れるべきです。モノづくりよりも金融技術を磨くことのほうが重要になっているのです。
雇用問題を解決するためにも、製造業から付加価値の高いサービス産業への構造転換を図る必要があります。
これに成功した先例は、過去20年間にITと金融を急速に発展させた米国、そして大胆な規制緩和によって金融立国を実現した英国です。
日本が構造転換を図るうえで問題となるのが人材なのですが、残念ながら日本の大学は、高付加価値サービス向けの人材育成には対応していません。
大学を変えていくのは不可能なので、外国人に頼るしかありません。そのモデルは米国です。
例えばシリコンバレーでIT革命を進めたのは、米国人よりもむしろ外国人なのです。シリコンバレーの専門家に占める外国人の比率は約60%。おもにインド人と中国人です。シリコンバレーでICというと、Integrated Circuit(集積回路)ではなくインド人(I)と中国人(C)を意味するという笑い話もあるほどです。つまりシリコンバレーは、国籍や年齢、性別を問わず、優秀な人材が自由に活動できる「場」を提供したのです。この「場」をつくるということが大切なんです。
英国も同じです。シティ(ロンドンの金融街)の規制緩和をして、外国の金融機関をどんどん受け入れました。
シリコンバレーもシティも外国人が発展を支えたのですから、日本も同じことをすればいい。そのためには外国人嫌いをなくすことが不可欠です。
日本の労働者に占める外国人の比率はたったの0.3%。これでは変わるはずがありません。外国人嫌いをやめることができれば、東京はシリコンバレーやシティのような機能を果たし得る街になれると思うのですが。
BP:そのほかに、構造転換のために必要なことは何でしょうか?
野口氏:外国人を積極的に受け入れる一方で、先ほど申し上げたような企業の海外流出を邪魔しないことですね。
「産業の空洞化をもたらす」と心配する人もいますが、今日のようにインターネットが発達した時代においては、地球規模で、ほぼコストゼロで瞬時にコミュニケーションできるわけですから、製造拠点を海外に持っていっても何の問題もありません。
新しい発想やビジネスを生み出す「場」と、モノづくりを行う「場」が離れていても、ITがあれば、距離や時間の壁はなくなります。これこそが21世紀型のグローバリゼーションだと思います。
BP:ITで世界がひとつになれば、やがてはシリコンバレーのような「場」の存在も必要とされなくなるのでしょうか?
野口氏:そうではありません。どんなに世界中の優秀な人材がITで繋がったとしても、やはりシリコンバレーのような「場」は必要です。
例えば、「これからはどんな技術が有望なのだろうか」といった話は、ウェブやメールで意見交換するものではなく、雑談の中から出てくるものなのです。どんなにITが進化しても、ITとフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを使い分けることの重要さは変わらないと思います。
BP:野口先生といえば、やはり1993年に出版されて空前の大ベストセラーとなった『「超」整理法』(中公新書)が有名ですが、ITを活用した知的生産術についてアドバイスをお願いします。
野口氏:2008年に『超「超」整理法』という本を書きました。グーグルのGメールを活用することで、情報整理の手間をなくすことを提案した本です。
わたしは現在、持っている情報のほとんどをGメールに上げてしまっています。コンピュータの中にも残ってはいますけど、いい加減な残し方しかしていません。例えば、「1カ月前にこんな原稿を書いたな」と思ったときは、コンピュータの中からではなくGメールの中から探します。原稿はすべて出版社に送っているので、メールを検索すれば必ず引き出せるのです。
雑誌の原稿の場合は、メールの宛先の担当編集者名と、調べたいテーマを入力して検索するだけで必要な原稿を引き出すことができます。「ノーベル賞」について1カ月ぐらい前に書いたけれど、あの原稿をもう一度読み返したいというときは、担当者名と「ノーベル賞」で検索すれば一発です。Gメールの優れた検索機能のおかげで情報を整理する手間から完全に解放されました。何もしなくても、勝手にデジタルオフィスが実現するのです。
わたしは長い間、デジタルオフィスというものには否定的でした。
というのも、紙の情報をスキャナで読み込んで保存整理するなんて、そんな時間の余裕はありませんから。
しかし、Gメールを活用すれば、自動的にファイルが整理されてしまいます。「整理しよう」と努力しなくても自然に出来てしまうのです。
そもそも1993年に出版した『「超」整理法』も、基本メッセージは「何にもしない」ということだった。
あの本は非常に誤解が多くて、「うまく整理するための本」だと思われがちなんですが、そうではなく、「整理なんてくだらない仕事だから、できることならやりたくない。いかに整理から怠けるか」ということを書いたのです。
使った書類を封筒に入れて時間順に書棚に並べるだけの「押出しファイリング」を提案しました。これなら、いちいち整理しなくても必要な文書をすぐに探し出すことができます。ファイルを時間順に並べるだけなので特別な努力は必要ないし、うまく機能する。それが大発見だったんです。
クラウドをはじめとする近年のITの進歩は、『「超」整理法』的な考え方をますます有利にしていると思います。
『「超」整理法』を書いたときは「分類するな、並べよ」がスローガンでしたが、『超「超」整理法』では「分類するな、検索せよ」に変わりました。これは非常にありがたい変化です。
わたしのように個人で仕事をしている者や中小企業の方々が知的生産活動をするうえで、非常に有利な状況の変化だと思います。
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