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にっぽんの元気人
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「キリンビール高知支店」は、なぜ奇跡を起こせたのか?
2016年4月の発行以来、わずか半年で20万部を売り上げたベストセラービジネス書『キリンビール高知支店の奇跡 勝利の法則は現場で拾え!』( 講談社+α新書)。その著者である田村潤氏は、社内でも負け組と言われていた同支店を勝てる組織に育て上げ、他社に奪われた県内トップシェアを見事に奪還させた人物だ。「『理念』と『ビジョン』の実現にまい進することが営業活動の本質」だと語る田村氏に、キリンビール高知支店はなぜ変わることができたのかを聞いた。

「自ら考え、行動する営業」で最下位ランクからの脱却に挑む
BP:『キリンビール高知支店の奇跡 勝利の法則は現場で拾え!』は、田村さんにとって初めての著書だそうですね。発売からわずか半年で20万部を売り上げたそうですが、これほど注目された理由は何だと思いますか?

田村潤氏(以下、田村氏):
「どうしてこんなに売れたのだろう?」と本人がいちばん驚いています(笑)。ローカルな地方営業の話ですし、わたし自身、講演やセミナーの講師を6年ほど行ってはきましたが、名前が知られているわけでもありませんでしたからね。
 しかし、短期的な営業成果が求められる昨今の状況のなか、あえて「効率」とは正反対の愚直で地道な営業活動を繰り広げ、全社ではキリンが負け続ける中、高知県内でライバルのアサヒビールのシェアを奪い、勝ち続けたという事実が、タイトルどおり「奇跡」と受け止められて驚きと関心を呼んだのではないでしょうか。

BP:この本によると、1990年前に全国で爆発的ブームを巻き起こした『アサヒスーパードライ』の販売攻勢を受け、高知県におけるキリンビールのシェアは1996年9月にアサヒに抜かれて2位に転落。しかも、高知支店の負け幅は大きく、キリンビールの全国支社の中で最下位ランクだったとか。それが、田村さんが反転攻勢の指揮をとられてからの約4年間で奇跡のV字回復を果たし、キリンの全国シェアが40数年振りにアサヒに抜かれるなか、高知県は見事トップシェアに返り咲くという逆転劇を演じています。秘密は何だったのでしょうか?

田村氏:
まず取り組んだのは、本社から与えられた施策をただ受け身になってこなすだけの営業から、「自ら考え、行動する営業」に転換することでした。
 赴任当時、全国最下位クラスの成績だった高知支店には、「何をやってもうまくいかない」というあきらめムードが漂っていました。しかも、それは自分たちの責任ではなく、本社から月20件近く下りてくる営業施策を言われたとおりに黙々とこなしているのにまったく成果が上がらないという、徒労感がまん延していたと思います。
 そんなムードを逆転させるには、言われた仕事をこなすのではなく、主体的に動いて成果を上げるという、営業にとってごく当たり前のことに取り組んでもらうのが最善だと考えました。

BP:勝つための “成功体験”を味わってもらうには、成果の上がりやすい営業先から攻めるのが有効だということで、最初のターゲットを料飲店に絞り込んだそうですね。

田村氏:
ビールの需要のうち、約75%はご家庭での消費です。居酒屋やレストラン、ビアホールなどの料飲店で飲まれている分は、その3分の1の約25%にすぎません。しかしご家庭で飲まれるビールは、お客様が自ら好きな銘柄を買われるので、人気のアサヒを前に、営業努力が成果に結び付きにくいのです。
 その点、料飲店なら、営業マンが直接訪ねて「キリンビールを置いてください」とお願いすれば、努力次第で数字は目に見えて上がります。
 そこで、当時9名いた高知支店の営業マン全員で「それぞれの目標を決めて、なるべく多くの料飲店を回ろう」ということになりました。
 なかには、毎月200軒の料飲店を回るという目標を掲げた営業マンもいました。当時、高知県には約2000の料飲店があり、9名の営業マンですべてをカバーするには、実際ひとり200軒ぐらいの訪問数は必要だったのです。
 わたしが赴任するまで、高知支店の料飲店の訪問数は全体で月30〜50軒ほどしかありませんでした。それが1人200軒、1日当たり10軒ぐらい回ろうということになったのですから、相当大変だったと思います。

達成困難な目標を創意工夫でクリアさせる
BP:訪問軒数の多さにこだわったのには、何か意味があったのでしょうか?

田村氏:
容易には達成できない目標を自分たちで決めて、工夫を凝らしながら何とかやり遂げるというプロセスを体験してほしかったからです。
 上から言われたのではなく、自分がリーダーと合意して決めた目標なのだから、何としても達成させなければなりません。しかも1日10軒となると、かなり効率よく回って、短い訪問時間でお客さま( 料飲店)にキリンビールのよさをアピールする必要がありますし、料飲店の中には、オーナーがいつもいるとは限らないので、訪問する時間帯を考えるとか、不在時のためにメッセージカードを用意するなど、工夫も凝らさなければなりません。
 そうした能動的な努力によって、「だったらキリンを置いてみようか」と言ってくださるお客さまを1軒でも多く増やしていく体験を重ねることが、“勝ち”につながると考えたのです。
 当時のキリンビールは、どちらかと言えば「量より質の営業」を重視していたので、数多くのお客さまを訪問するのに不可欠な営業としての“基礎体力”が乏しかった。数にこだわったのには、そうした地力を身に着けてほしいという思いもありました。

BP:料飲店向けの営業では、数字としても目に見える成果が上がったそうですが、著書によると、それ以上に、この営業活動を通じて自分たちの守るべき「理念」やそれに基づく「あるべき姿」(ビジョン)が明確になったことのほうが大きかったようですね。

田村氏:
料飲店への訪問を重ねるうちに、なぜ高知のお客さまがキリンビールを離れ、アサヒビールに傾いていったのかが少しずつわかってきました。
 『スーパードライ』の宣伝・販促がすさまじかったこともありましたが、何と言っても大きかったのは、キリンというブランドに対するお客さまの信頼が失われてしまったことでした。
 たとえばキリンは1996年2月に伝統ある『ラガー』の味を変更し、苦みやコクよりも、若者に好まれやすいあっさりとした味になりました。もちろん、周到な事前リサーチに基づいた変更ではあったのですが、これによって昔からの多くのお客さまが『ラガー』から離れていってしまった。とくに高知県は、飲みごたえのある苦みやコクを好まれる方が多いので失望感は大きかったようです。半年後に県内シェアで『スーパードライ』に追い抜かれたのは、おそらくこの味の変更も大きな原因だったのでしょう。
 一方でこの件は、これまで高知の方々が、いかにキリンビールを愛してくださっていたのかということをわたしたちに教えてくれました。われわれは、なぜ営業活動をするのか? それは数字を上げることよりも、お客さまから愛され続けてきた「キリン」というブランドの価値を取り戻し、ひとりでも多くの方に美味しいキリンビールを飲んでいただくためではないのかということを、改めて実感したのです。
 そして、この「ひとりでも多くの方に美味しいキリンビールを飲んでいただく」ということが、われわれの行動の原点、すなわち「理念」であるということを確信しました。
 では、それを実現するには市場にどんな状況を作り出さなければならないのか?
 理念がはっきりしていたので、答えは明快でした。
 それは、ひとりでも多くの方に飲んでいただくためには、どこに行ってもキリンが置いてあり、ほしいときに、いつでも手に取っていただけるような状態にすること。そしてこれが、高知支社が目指す「あるべき姿」(ビジョン)であるということに気付いたのです。

「理念」と「ビジョン」の実現こそが営業活動の本質
BP:「理念」と「ビジョン」が明確になったことで、いよいよ高知支社の快進撃が始まります。

田村:
ビジョンを実現するため、個々の営業マンが何をすべきか、ということがより明確になりましたからね。
 料飲店に1本でも多くのキリンビールを置いていただくだけでなく、酒販店や量販店でも、なるべく多くの棚に商品を陳列してもらえるように、とにかくお客さまの目にいつでもキリンビールが見えるようにと、全営業マンが知恵を絞って取り組み始めました。
 また営業マンだけでなく、かつて事務に専念していた女性スタッフたちも、一緒になって酒販店や量販店を回ったり、販促のための知恵を絞って営業マンに提案してくれたりしました。支店全体が理念とビジョンを共有したことで、チーム一丸となっての取り組みが実現したのです。
 とにかく1本でも、1ケースでも、10ケースでも多くお店に置いていただこうと全員が必死に取り組んだ結果、おのずと数字も上がっていきました。
 わたしが高知支店長から四国4県を統括する本部長として香川県に転出した2001年秋には、高知県内のキリンビールのシェアは44%まで回復し、念願だったトップシェアを取り戻すことができました。

BP:本の中で、高知支社を訪れた当時のキリンビールの社長が、事務職の女性から「社長は、お客さまに対して卑怯です」と詰め寄られたというエピソードが書かれていたのが印象的でした。

田村氏:
社長と支店メンバーによる意見交換会で、変わってしまった『ラガー』の味を元に戻してほしいと社長に直談判したときの話ですね。
 高知の方々の多くが、以前の『ラガー』の味に対する愛着を持っておられたので、「美味しいキリンビールを飲んでいただきたい」という理念を貫くためには、どうしても元通りの味にしてほしいという強い思いをスタッフ全員が抱いていました。
 しかし会社としては、変えたばかりの味をすぐに戻してしまうと「キリンはぶれた」と思われてしまうのではないかということを懸念していました。
 社長がそのことを伝えたときに、事務スタッフのひとりが、思わず熱くなって言ってしまったのです。思わずそんな言葉を挙げてしまうほど、スタッフたちは理念の大切さを共有してくれているのだとうれしくなりました。
 会社の都合ではなく、あくまでもお客さまのことを第一に考える。それは本来、キリンビールが掲げ続けてきた理念でもあります。
 理念に忠実に、当たり前のことを当たり前にやれるようになったことが、高知支社が強くなれた最大の理由だと思います。小手先のテクニックを磨くのではなく、「理念」と「ビジョン」を貫きながら、いかにそれにのっとった行動をするかが大切なのです。

BP:その後、田村さんは四国4県の地区本部長、東海地区本部長を経て、2007年にキリンビールの代表取締役副社長兼営業本部長に就任。そして2年後の2009年、キリンはついに全国でもトップシェアを奪還します。

田村氏:
地区本部長時代も、営業本部長として全国を統括するようになってからも、高知支社にいたころと同じように、社員1人ひとりに「理念」と「ビジョン」にのっとった戦略、戦術で営業に取り組むことを訴え続けました。
 それが結果として、トップシェア奪還の原動力になったのだと思います。「理念」と「ビジョン」の実現こそが営業の本質だということは、ビール業界のみならず、あらゆる業界に通じる普遍的な考え方ではないでしょうか。

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元キリンビール株式会社 代表取締役副社長
田村 潤氏
J u n  T a m u r a

◎ P r o f i l e
1950年、東京都生まれ。成城大学経済学部卒。95年に支店長として高知に赴任した後、四国四県の地区本部長、東海地区本部長を経て、2007年に代表取締役副社長兼営業本部長に就任。全国の営業の指揮を執り、09年、キリンビールのシェアの首位奪回を実現した。11年より100年プランニング代表として、全国各地で公演活動を行う傍ら、「キリンビール高知支店の奇跡 勝利の法則は現場で拾え!」を上梓。発売後、わずか半年で20万部を売り上げたベストセラーとなる。






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【にっぽんの元気人】

・JR東日本グループ(株)日本レストランエンタプライズ 駅弁マイスター 三浦由紀江氏【Vol.88】

・哲学者 岸見一郎氏 【Vol.87】

・元 東京都交通局長 (株)はとバス元社長 宮端 清次氏氏 【Vol.86】

・株式会社 感性リサーチ 代表取締役 黒川伊保子氏 【Vol.85】


 
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