人間の感情や行動と脳の関係について、わかりやすい言葉で解説する脳科学者の中野信子氏。TVの情報番組のコメンテーターとしてもすっかりおなじみとなった中野氏に、脳科学を営業活動に役立てる方法についてうかがった。営業活動においては、お客さまとの信頼関係が重要であることは言うまでもないが、それを形成するためには「受容と共感」「自己一致」が大切だと中野氏はアドバイスする。
BP:本日は中野先生に、ご専門である脳科学を営業活動に役立てる方法をうかがいたいと思います。
営業担当者がお客さまと対面でお話をするときに、相手に気に入られるにはどうすればいいのでしょうか?
中野信子氏(以下、中野氏):まず相手に信頼してもらうことが大切です。
短期的な成果を上げようとするのなら、相手の心をざわつかせるだけで十分です。例えば、脅す、すかすといったようにプッシュすれば、短期的には業績が上がります。
けれども、それでは早晩悪評が立ちますし、一部の人にそういう噂が立てば、ほかの営業の方々にも迷惑が掛かってしまいます。ですから、長期的に営業成果を高めていくためには、相手との信頼関係を築き上げていくことが大切だと言えます。
脳科学者が行っているカウンセリングでは、相談者と最初に接するときに「ラポール形成」を行います。ひと言で言えば、カウンセラーと相談者との間の信頼形成です。
そのときにいちばん重要になるのは、自己開示です。
BP:どれだけ自分をさらけ出せるかということですね。
中野氏:営業の方も人間ですから、初対面のお客さまに、「何をどこまでしゃべっていいのか?」という加減を考えてしまいますよね。あまり自分をさらけ出し過ぎると、逆にお客さまを困らせてしまうこともあるはずですから。
うまい人は、何も言われなくても、ほどよく自己開示ができているものです。それを「背中で学べ」というのはなかなか難しいと思いますが、科学的な根拠に基づいて訓練すれば必ず身に着けられるはずです。
自己開示の一歩手前で最も重要と言われているものは、「受容と共感」、そして「自己一致」です。
「受容と共感」というのは、相手と1対1、または1対多数で話をするときに、相手の言っていることを受け止め、それに共感することです。
言葉で言うのは簡単ですが、実際にやるのはなかなか難しいですね。
だいたいの人は、相手の言葉に耳を傾ける前に、自分から提案やアドバイスをしてしまいます。
営業の方なら、なおさらアドバイスをしてしまうと思うのですが、長期的な人間関係を築きたいと思うのなら、まずは受容することが大切なのです。
提案の場で受容するというのは、なかなか勇気がいることだと思います。自社製品やサービスのことをひと言も宣伝せずに帰ってくるのは、営業の本来の目的に反することですから。
でも、相手が本当にほしいものは何なのかを知らなければ、適切な提案はできませんし、受容することの効果には計り知れないものがあります。
なぜなら、受容するということは、相手に「あなたから買いたい」と思っていただくための重要な下準備だからです。「ちょっと値段は高いけれど、あなただから」「いつもよくしてもらっているから」と思っていだだくことが、長期的な営業成果に結び付くわけです。
BP:相手を受容するというのは、特に男性にとっては習得しにくいスキルではないかと思います。
中野氏:受容をするためには共感が不可欠ですが、共感は同情とは違います。
同情というのは、「かわいそうにね」とか「大変だったね」というように、相手を慰める気持ちです。
それに対し、共感とは、「自分が同じシチュエーションに置かれたとしたらどう考えるか?」と思うことです。
共感するというのは、心理的にはとてもしんどい作業です。
たくさん案件を抱えている人が、1人ひとりのお客さまに共感するというのは大変ですし、それをやるには相当のトレーニングが必要です。
ベテランの営業の方々の中には、「そんなこと言われなくても、普段からちゃんとやっている」という方がいらっしゃるかもしれません。でも、社内研修やワークショップなどでロールプレイングしてみると、意外とできていないことがわかると思います。
例えば、研修の参加者が顧客側と営業側に分かれ、互いの立場で受け答えをするトレーニング方法があります。
その内容を録音しておいて終了後に聴いてみると、いかに相手の言葉に耳を傾けず、自分のことばかりしゃべっているのかがよくわかると思います。「普段からちゃんとやっている」と言っている方でも、案外できていないものなのです。
BP:まずは「受容と共感」のための意識改革が必要だということですね。
中野氏:「意識改革をしなければ」と大上段に構えるより、もっと気楽に、上手な人の真似をするところから始めてみるのがいいのではないかと思います。
お客さまが何をいちばん求めているのかということを、ご自身が言葉で言い表すことはほとんどありません。本当は自分自身の願望があるけれど、恥ずかしくて言えないという方が多いのです。また、自分が本当に求めているものがきちんと認識できていないお客さまもいらっしゃいます。
最初にお客さまとお会いしたときに、「〇〇に困っている」と言われたとしても、それが本当に困っていることではないかもしれないわけです。
そんなお客さまの「本当のニーズ」にぴったりと合致したソリューションを提案できるようになれば、「この人から買いたい」と思っていただけるようになるわけですね。
そのスキルは、ただトークがうまいということではなく、やはり「受容と共感」がしっかりできているということだと言えます。
BP:「受容と共感」のスキルは、トレーニングによって身に着けられるものなのでしょうか?
中野氏:いちばん手軽なのは、うまい人のやり方を学ぶ方法ですが、実践するときにはひとつ注意していただきた
いことがあります。
それは、うまい人の会話をただ漫然と聞くだけでなく、自らも積極的にトライアルしてみるということです。「自分がどう語っているのか」ということは、なかなか自分自身ではフィードバックしないものです。
会話を録音して聴き返すなどの繰り返しによって、自分がどう語っているかを客観的に分析し、修正を加えていくことが大事だと思います。「先輩の営業に何度も同行して、同じしゃべり方をしているはずなのに、なぜ駄目なのだろう?」と思っている人は多いと思いますが、実際に自分のしゃべりを聞いてみると、全然だめだと思うことはきっと多いと思います。
声のトーンが強過ぎたり、相手の話を遮っていたり。人によっては相手の言っていることを鼻で笑うかのような言葉を無意識のうちに発していることすらあります。
相手を説得するときに、威圧のために鼻で笑うということはありますが、信頼を形成する場面において、そのような行為をするのは逆効果です。
まずは自分の話し方のクセに気付き、それがわかったら、うまい人の話し方を見習って、それに近づけるように修正していくことです。
これは、繰り返しやるしかありません。ゴルフのレッスンと同じように、良いお手本を見ながらフォームを修正していくのとほとんど同じです。
どう言えば、相手がどういう反応を返してくるのかということも、訓練によってわかるようになってくるはずです。これは認知や知識の差というよりも、運動学習のようなものですから、反復練習とフィードバックが大事です。
BP:もうひとつ、自己開示のために重要な要素として挙げていただいた「自己一致」についてもお聞かせください。
中野氏:普通の人は、「自分の考えていることは一貫している」と思いがちですが、案外そうではありません。
例えば、ダイエットをしたいと思っているのに、おいしいものはつい食べてしまうとか、社内の模範とならなければならないと思っているけれど、教育と称してちょっとパワハラまがいのことをしてしまうといった矛盾が、人間にはどうしてもあるものです。
自分の行動は、自分が思っているほどコントロールできていません。自己イメージというものも、必ずしも一貫しているものではありません。
そして自分が思い描いている自分の姿と現実のギャップに納得できなくなると、不安が生じ、心理的なバランスが悪くなることがあります。
そのような状態になると、ほかの人とのコミュニケーションがうまく取れなくなることがありますね。
わたしたちのようなカウンセラーがそうした問題を抱えると、相談者としっかり向き合えなくなってしまいます。だからこそ、「自己一致」の処理はしっかりしましょうということになるのです。
営業の方々にとっても、「自己一致」の処理は大切だと思います。自分としっかり向き合い、あるべき姿と理想の姿の矛盾を素直に受け入れましょうということです。
BP:ところで、「受容と共感」には人間の生理現象も関係しているのでしょうか?
中野氏:人間が分泌するホルモンのひとつに「オキシトシン」というものがあります。「幸せホルモン」とか「愛情ホルモン」とも呼ばれ、人に対する愛着を形成する物質です。
例えば、動物実験で、オキシトシンを投与した個体のそばにある特定の個体を一緒にしておくと、その特定の個体に対する愛着が形成されます。
その後、特定の個体を群れに戻し、後からオキシトシンを投与した個体を群れに入れると、群れの中から特定の個体を探し出し、そばに寄っていくのです。これは人間で言うと、特定の人が好きになったり、愛着が生まれて信頼が形成されたりする状態です。
「受容と共感」を持って相手を接するためには、まずオキシトシンを出すことが大事だと言えるのでしょうね。
ただし注意しなければならないのは、オキシトシンによる愛着が形成されると、愛着と同時に憎しみも強くなるということです。愛着を持っている相手が自分の言うとおりにしてくれなかったときには、「かわいさ余って憎さ100倍」ということにもなりうるわけです。
相手がこちらに愛着を持ってくれた場合、裏切るようなことをするとクレーマーになってしまう恐れがあることは注意したほうがいいと思います。
BP:最後に本誌読者にメッセージをお願いします。
中野氏:営業の方は、相手との信頼と距離感のバランスを取ることが大切だと思います。臨床心理学でよく言われるのは、相談者に親身になり過ぎる人はカウンセラーに向いていないということです。「人の気持ちが分かり過ぎるのはだめ。ビジネスだと思えるようにならないと」とよく言われます。
仕事をするうえで信頼関係は非常に大事ですが、それを大事にし過ぎると自分が犠牲になってしまう恐れがあります。特に多くのお客さまと接する営業の方々は、相手との良い距離感を保つことでビジネスがうまくいくのではないでしょうか。
|