フジテレビのアナウンサーとして活躍した菊間千乃さん。2007年に退職し、2010年に2度目の挑戦で司法試験に合格。現在は主に企業法務を専門とする弁護士として活躍されている。法律の専門家として、人権問題の解決に取り組むNPO法人の活動を支援するなど、その活動の幅は広い。なぜ、菊間さんは子どものころからの憧れだったアナウンサーを辞め、弁護士になろうと思ったのか? 司法制度改革というチャンスを生かして夢をかなえた経緯について語ってもらった。
BP:菊間さんは2007年12月にフジテレビを退職され、女子アナウンサーから弁護士に転身されていますね。きっかけは何だったのでしょうか?
菊間千乃氏(以下、菊間氏):話し出すと長くなってしまいそうですが(笑)。
1995年にフジテレビに入社してアナウンサーになる前から、「10年後までに司法試験を受けよう」ということは心に決めていました。
いまは少し変わってきたと思いますが、当時の女子アナは20代が仕事の盛りで、30代になると、結婚や出産を経て、だんだん仕事が減っていくのが普通でした。わたしも30歳になる前に結婚したいという人生設計を立てていたのですが、子どものころから憧れて、せっかくつかんだアナウンサーの仕事を、20代で終わらせてしまうのはもったいないと思ったのです。
「長く活躍するためには、何か武器を持たないといけない。自分にとっての武器は何だろう?」と考えたときに、もともと法学部出身なので、法律のことをもっと勉強すれば、30歳を過ぎても、報道番組や情報番組などで活躍の場が得られるのではないかと考えました。
ただ、いざアナウンサーを始めてみると、忙しいうえに毎日の仕事がとても楽しくて、いつの間にか「司法試験を受ける」という目標も過去のことになりつつありました(笑)。
BP:入社してちょうど10年目の2005年に転機が訪れるわけですね。
菊間氏:結局、30歳になっても結婚はしなかったので、アナウンサーとしての仕事量に大きな変化はなかったのですが、ある番組でご一緒した弁護士の先生から、「働きながら司法試験の勉強ができるロースクールという制度が始まるよ」と教えていただきました。ちょうど、当時の小泉純一郎内閣の司法制度改革によって、勉強ばかりしてきた学生だけではなく、様々な経験を積んだ社会人にも法曹(法律業務に従事する裁判官、検察官、弁護士などの職種)への道を開こうという取り組みが始まった時期でした。
そこで入社前に思い描いていた目標を改めて思い出し、仕事をしながらでも通える夜学のロースクールに入学することにしました。当時は『とくダネ!』など朝の番組に携わっていて、相変わらず忙しい時期でしたが、何とか頑張ってみようと思いました。
BP:入学されたのは、埼玉県にある大宮法科大学院大学だったそうですね。
菊間氏:大宮法科大学院大学は第二東京弁護士会が開校したロースクールで、大学には附属しておらず、先生方の約8割が同弁護士会に所属する弁護士という非常にユニークな学校でした。
司法試験合格を目指すための学校ですから、当然、民法や刑法などの基礎科目から体系的に学ぶのですが、先生方が現役の弁護士なので、条文や判例の解説だけでなく、それらが実際の事件や裁判でどう問題になったのかということなどを具体的に教えてくださいました。実務的な知識を学べたことは、とても有意義だったと思っています。
もうひとつ、このロースクールに通ってよかったと感じたのは、弁護士の先生方との対話を通じて、「法律は使うためにある」ということを、いまさらながら実感させられたことです。弁護士の仕事は、法律という武器を使ってクライアント(依頼人)を助けること。当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、学んだ知識や身につけた経験を武器に、自分を頼ってくれる誰かのために動けるというのは、とてもやりがいのある仕事だと思いました。
BP:なぜそう感じたのでしょうか?
菊間氏:そのころの私は、アナウンサーという仕事に一種の無力感を抱いていました。テレビの報道の役割は、基本的に世の中で起こった出来事を、正確に迅速に伝えることです。
とても重要な仕事ですが、ただ伝えるだけでは、世の中を変えていくことはできません。最終的に動くか動かないかは、その報道に接した一人ひとりの視聴者にかかっています。
その点、弁護士は、依頼人からのご相談に対応して、困り事やトラブルの解決に直接かかわることができます。
さらに言えば、法律の知識や実務経験を生かしながら、世の中をよりよくするお手伝いだってできるのです。
ロースクールの先生方との対話の中で、そんなふうに、傍観者ではなく当事者としてかかわれる弁護士の仕事のほうが、これからの自分の生き方には,合っていると感じました。
入学当初は、司法試験に合格するのは、あくまでアナウンサーとしての幅を広げることが目的で、アナウンサーという仕事そのものを辞めるつもりはありませんでした。
でも、「弁護士になりたい」という気持ちが少しずつ強くなり、入学から3年目の2007年12月、アナウンサーを辞めるという決断をしました。
BP:仕事と勉強の両立が難しいことも、アナウンサーを辞めた理由のひとつだったとうかがっています。
菊間氏:入学してから3年間は、昼間アナウンサーとしての仕事をこなし、夜は学校に行って勉強するという生活を送っていました。ほかにも、予習・復習や宿題などを毎日のようにこなさなければなりません。
当時はロースクールで司法試験に向けた勉強をしてはいけないとされていました。学年が上がるにつれ,今の毎日のカリキュラムに加えて、司法試験に向けた勉強をする時間をねん出することは、このスケジュールでは不可能、「勉強一本に専念しないと、合格なんてできないのではないか」と思うようになりました。
ロースクールの1期上の先輩で司法試験に合格した方は,東大卒業後、商社の法務部に勤務していて法律はよくご存じのはずなのに、1年間休職して勉強に専念されていました。
その方に「3回しか受験チャンスはないのだから。休職して1回目で受かる気持ちで集中して勉強したほうがいいよ」とアドバイスを頂きました。
上司に相談したところ、「休職を認めるとしても、アナウンサーという立場上、事前にプレスリリースを出して周知しなければならない」と言われ、それでは休職しても、勉強に集中した環境を作ることはできないのではないかと思いました。
最終的には、やるからには絶対に合格して弁護士になりたい、そのために今やるべきは勉強に集中すること,そんな覚悟をもって、13年間お世話になったフジテレビを退職しました。
BP:ロースクールを卒業した2009年の司法試験は残念ながら不合格でしたが、翌2010年に受けた2回目の司法試験で見事合格されていますね。
菊間氏:1回目は、試験直後から「合格は難しいだろう」と思っていました。圧倒的な準備不足を痛感していたからです。それがあったからこそ、2回目に向けた7カ月間は、1秒たりとも司法試験のことを考えなかったことはないと言えるほど勉強に没頭しました。あんな気持ちは二度と味わいたくないと思いました。
大学受験のときもそうだったのですが、わたしは「これだけやれば絶対に大丈夫」と自分が思えるところまで繰り返さないと、自信が持てないんです。1回読んだだけでは理解した気持ちになっているだけ。条文や判例を何度も何度も読み込んで、体に染み込ませていくことで、自分の知識となっていく気がします。
1回目の受験のときは、あまりにも付け焼刃だったので、受験会場にいる人たちがとても優秀に見えて怖気づきましたが、2回目は、「やるだけのことはやった。どんな問題でもかかってこい!」と、ある意味開き直った状態で試験を受けることができました。おかげで無事、合格できたのだと思います。
BP:その後、1年間の司法修習を経て、2011年に弁護士になられました。現在は、主にどのようなお仕事をされているのでしょうか?
菊間氏:主に企業法務を扱う弁護士法人松尾綜合法律事務所に所属し、労働問題やハラスメント事案、エンターテインメント関連の仕事などを担当しています。
この事務所に入ったのは、ロースクール生時代から、代表弁護士である松尾翼先生を尊敬していたからです。
松尾先生は、ポール・マッカートニーが1980年に来日し、大麻所持で逮捕されたときに弁護をしたことで有名ですが、そのほかにも、日本赤軍の岡本公三が1972年のテルアビブ空港乱射事件で逮捕された際、イスラエルの司法当局から「英語のできる弁護人を派遣してほしい」との要請を受け、誰も引き受け手がいない中、唯一名乗りを上げて岡本氏の弁護を行った人です。
当時、日本には英語のできる弁護士が少なかったことも理由ですが、テルアビブの治安情勢の悪さや、国内外から忌み嫌われていた日本赤軍を弁護するのは、命にかかわるということから、名乗りを上げる弁護士はいなかったようです。
松尾先生は「自分はたとえ被告人がヒットラーでも弁護する。どんな人間でも、法の下に裁かれる権利はある。弁護士は決してリンチに参加してはならない」と常々おっしゃっています。
犯罪者にも人権があります。「罪を犯したから」といって犯罪者の人権をないがしろにすれば、やがて一般の人々の人権まで脅かされることになりかねません。松尾先生は、だからこそ、弁護士は法の番人として、人権侵害がなされないように、刑事事件に携わらなければならないとおっしゃっていて、そうした考え方に感銘を受け、先生のもとで働きたいと思いました。
BP:弁護士になられて7年が経ちました。改めて弁護士という仕事の魅力について、どう感じておられますか?
菊間氏:弁護士としての活動は、想像以上に幅広いものだと実感しています。
例えば、わたしは弁護士としての本業の傍ら、ヒューマンライツ・ナウという認定NPO法人の運営顧問として、世界の深刻な人権侵害をなくす取り組みに協力させていただいています。
企業法務という専門分野を生かして、グローバルな製造業が途上国などの人々を劣悪な条件で働かせたりしているような問題を解決したいと取り組んでいます。
このほか、全国万引犯罪防止機構という特定非営利活動法人の理事として、日本から万引きをなくす取り組みもお手伝いしています。法律知識という武器を使って、世の中をよりよくしていくお手伝いができることに、とてもやりがいを感じています。
BP:最後に本誌読者にメッセージをお願いします。
菊間氏:自分の将来について「先が見えないことが不安だ」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、私は逆に、何が起こるかわからないからこそ、人生は楽しいのだと思います。全て決められた安定のレールの上を歩くなんて、つまらない人生ではないですか。
いまの時代は、やる気と先を見据えた戦略作りをしていけば、「なりたい自分」になれるチャンスが広がっています。「自分なんて」「もう遅い」なんて思わずに、ぜひそのチャンスを生かして、夢をつかんでください。人生100年時代、まだまだこれからですよ!。
|