新型コロナの感染拡大の影響によるリモートワークの導入は、多くの企業にとって緊急の対策だった。取り急ぎ、持ち出し用のPCやWi-Fiルーター、遠隔コラボレーションツールなどを導入。従業員が自宅で何とか仕事ができるように間に合わせたのが実情である。そのためリモートワークの備えが不十分であった点が課題として浮上している。そこで今回の特集では、実際にリモートワークを行ってわかった課題と解決方法について考えたい。 |
新型コロナ感染症対策を機にリモートワークは一気に普及したが、このところ中堅・中小企業を中心にオフィス勤務を主軸にした勤務体制に回帰する動きが目立つ。その理由とリモートワーク促進提案のカギを考えるためにも、リモートワークの課題と解決方法を検証したい。そこで、ある家族の体験談をもとにリモートワークの落とし穴を“見える化”してみた。
リモートワークの朝はもう少し優雅になると期待していたが、まったくのところ計算違いだったようだ。結婚後も医療関係の仕事を続ける妻に代わり、息子の保育園の送り迎えを引き受けると大見得を切ったのもよくなかった。
息子を駅前の保育園まで送り届け、帰宅すると始業時間の9時直前だった。リモートワーク移行後の仕事場になったダイニングでPCを起動し、定例Webミーティングにアクセスすると、自分以外のメンバーはすでに全員ログインして雑談中だった。全員のスケジュール報告が終わると、課長は自分に残るように伝え、ミーティングは終了した。
「例の新製品の提案資料なんだが、君に頼んで大丈夫かな?」
もちろん大丈夫なはずはない。進捗中の案件を伝え、できればそちらに集中したい旨を説明するがご納得いただけなかったようだ。
「それは分かるがこういう状況だ。こういうことは信頼できる人間に頼むほかないだろう。サポートにアシスタントを付けるからよろしく頼むよ」
サポートを付けるぐらいなら、課長が自分で指示を出せばいいだけの話だ。言葉を返そうとすると課長は意外な言葉を続けた。
「それはそうと、君は言葉に気を付けた方がよさそうだな。T君が自信を失っていたぞ。君にかなりキツイことを言われたらしい」
「えっ、なんの話ですか」
「いや、大丈夫だ。私がちゃんとフォローしておいたから」
課長によると、どうやらA社の担当引継ぎの際のやり取りがよくなかったらしい。「なんでそんなこともわからないのか」と叱責したというのだがまったく心当たりがない。しばらく考えて「なんで、そうなるの」というふた昔ばかり前のお笑い芸人のフレーズをそのまま入力したのが原因らしいと気づいた。文章だけのコミュニケーションはなにかと難しい。*1
課長になんとなく押し切られてしまったが、引き受けてしまった以上は仕方ない。予定を変更して、まずは新製品の件から手を付けることにした。
我が社は、早くからペーパーレスを推進してきた。業務に必要な資料はどこからでもリモートで参照可能だ。その場合、社内システムにスムーズにアクセスできることが条件だ。VPN接続でアクセスを試みるが、案の定、うまくつながらない。*2 時計を見ると午前10時。リモートワークに移行した従業員のアクセスが集中する時間だ。つながるのを気長に待つことにした。
今日の予定を調整していると、一通のメールが着信した。先月からクロージングに動いていたB社の担当さんからだ。開くと、契約を進めたい旨の連絡だった。ルーティンの小さなガッツポーズを済ませ、御礼メールを書きながら、新たな問題に気付いた。担当さんのメールには至急見積書を用意してほしいという一文があったからだ。
見積書には、当然社判を押印する。*3 だが我が社のリモートワーク規定では、出社するには前日中の申請が必要になる。見積書の準備が明日以降になることを担当さんに詫び、ワークフローで出社申請を行った。こちらはクラウドサービスでスムーズにアクセスできたことが唯一の救いだ。
課長に頼まれた販促ツールの構成がおおよそ固まったので、U君に連絡を取ることにした。新卒で自分の課に配属され3年目のU君は、ときどきポカもあるが集中が必要な仕事に関しては頼りになる後輩だ。
Web会議ツールで打ち合わせを始めたが、オフィスの対面の打ち合わせと違いなかなか調子がでない。 資料に手書きで文字や図を書き込めないこともその理由の一つのようだ。ペン型入力デバイスのような新たなツールの利用を考えた方がいいかもしれない。*4
打ち合わせを終えて、あることを思い出してたずねた。
「そういえば、明日の商談のプレゼン資料はどうなった」
「期待してください。先輩のアドバイスを反映してパワーアップしたヤツを用意していますから」
持つべきものは、頼りになる後輩だ。
U君との打ち合わせを終え、一息ついているとスマホが鳴った。妻からだ。
「保育園からの連絡で、子供が熱を出したって。すぐに迎えに行ってあげてほしいんだけど」
「ちょっと待って。こっちにも予定が……」
「じゃあ、お願いしましたから」と言うと電話は一方的に切れた。夫が家で仕事をすることに理解を得るのは意外に難しい。*5
16時にはC社とのWeb商談の予定が入っている。時計を見ると15時30分。今出かければなんとか間に合うはずだ。取るものもとりあえず保育園に電動自転車を飛ばした。
それほど心配はしていなかったものの、顔を合わせたとたん「パパ、釣り堀にいこう」と言う息子の元気な姿を目にするとさすがに脱力してしまう。息子を担ぎ上げるようにマンションの廊下を駆け抜け、帰宅したのは15時58分。なんとか間に合った。
Web会議ツールで商談を始めると、なぜか息子がポンプ式石鹸を手にこちらに歩いてくる。帰宅後の手洗いをしていないことを咎めているらしい。仕方なく手を広げると、息子はポンプを強く押す。ポンプから飛び出した石鹸は目標を大きく逸れ、PCのキーボードに降り注いだ。「あわわ」と言葉にならない声が口をつく。ディスプレイの向こうの驚いた顔が目に痛い。
幸いなことに、石鹸の泡をふき取り再起動するとPCは復活した。*6 まずは事情を説明し、商談を延期してもらったC社の担当者にお詫びのメールを送信する。気分を害していなければいいのだが。
時計を見ると、17時を過ぎている。今日も残業になりそうだ。我が社の働き方改革では、残業申請の厳格化が一定の成果を挙げた。だがリモートワークに移行した今は、その意識が緩みがちであることは否定できない。*7 セルフマネジメントの難しさについて考えていると、再びスマホが鳴った。U君からだ。
「先輩、やられました」
「落ち着け、U君。報連相の基本を忘れたか?」
「ですから、やられたんです」
要領を得ないが、ランサムウェアにPCを乗っ取られたらしい。*8 ともあれ、まずは情シスに連絡を取るように伝える。念のため、明日の資料についても確認しておいた方がいいだろう。
「それがですね、ずっとローカルに保存していたんです」
「えっ、で、バックアップは?」
「とってないんですよ」
「うむむむ」。口から再び言葉にならない声が漏れる。社内ネットワークへのアクセスの渋滞を嫌い、リモートワーク移行後ローカルで作業を続けてきたらしい。
「それで今、使えるPCはあるのか?」
「それが1台もないんです。どうしたらいいんでしょう」
どうもこうもない。こうなったら自分が資料を作り直すほかない。
リモートワーク解除のメールが会社から届いたのは、その翌日のことだった。そのメールを読み、思わず安堵のため息を漏らした。
続き、「巻頭特集 リモートワークで見えてきた課題を商機に変える!」は 本誌を御覧ください
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